生かされて。

 暴力は伝染する。それを自分のところで食い止めるのが信仰の力である。
 というようなことを、シモーヌ・ヴェイユは書いていたはず。でもいざ、どの本のどのページにあったかを探しはじめると、見つからないのだ。見つからないとなると、いっそう気にかかる。頭のどこかにはいつもおぼえている言葉なのに。
 
 『生かされて。』(イマキュレー・イリバギザ著、PHP研究所)というタイトルの本を読んだ。百日間に百万人が殺されたというルワンダ内戦を、奇跡的に生き延びた女性によって書かれた本。読み始めるや一気に読んでしまった。虐殺の光景を、はやく通り過ぎたかったこともあるのだが、この本の主題は虐殺ではなく、トイレに隠れて生き延びた著者が、その間に、ひたすらな祈り、神との対話によって見出した何か。それが、ヴェイユの言葉を、ものすごく生々しく想起させたのだった。自分の家族を殺し、自分を殺そうとするものたちへの憎しみや怒りを、その内面においてどう乗り越えるのか、憎しみの連鎖をどうやって食い止めることが可能なのか、ゆるすことはできるか。虐殺の光景のただなかでの宗教体験、ひとりの人間の魂に起きた変化の軌跡が圧倒的だ。
 人間にとって信仰とは何か、祈りとは、希望の生まれるところはどこか、確信の根拠は何か、について語った本。著者の内面の変革そのものが、そのような根源的な問いへの答えになっているのだ。
 「もはや何一つ変えることが出来ないときには、自分たち自身が変わるしかない」という、フランクル(アウシュビッツを生き延びた精神科医)の言葉が扉にある。