つながっている

 ここんとこ、子どもは毎朝起きるなり「そうだ、うれしいんだ、いきるよろこび」とアンパンマンを大きな声で歌う。おかげで、1日がはじまることは、なんだかうれしいことのような気が、すこしする。実際、毎日子どもはうれしそうで、何がそんなにうれしいのか、ぴょんぴょん跳ぶ。ぴょんぴょん跳ぶのだ。ちょうどアフリカの部族の踊りのように。
 
 地球温暖化で、アフリカのサバンナに雨が降らない。それで、ケニア遊牧民族が、遊牧をつづけることができなくなっている、という番組を一昨日だったか、夜中に見た。旱魃で山羊たちに死なれて、町の近くで暮らしはじめた男たちはみじめそうで、大地と動物たちを失っては、子どもたちに未来はないと話すのだった。遊牧の記憶を忘れないためのように、民族の踊りを踊る。ぴょんぴょん跳びはねるような踊り。
 うれしい、ということでしたか。そんなふうにぴょんぴょん跳ぶのは。
 
 アジアやアフリカの詩を読むと、大地や生き物、伝統や家族とのつながりが歌われていて、はじめて読んだころ、それがとても印象的だった。たぶん、日本の現代詩が失っていたものだ。つながりへの、素朴な信頼が不思議で、なつかしくて羨ましかった。それが壊されようとしている。戦争ばかりするから神さまが怒って雨が降らないのだと彼らは言い、その謙虚さがせつない。地球の裏側の先進国の傲慢は、彼らからは見えない。
 
 「つよく、つよく、つながってーいーるー」と子どもは歌うのだが、これはなんの歌だ。
 

 周期(サイクル)  マジン・クネーネ
   Ⅰ
大地を足で抱きしめながら
わたしたちが祭りで踊るとき
大勢の人びとが地面の下で眠っている。
わたしたちの立っている場所に
かれらもその夢とともに立っていたのかもしれない
かれらはついに疲れるまで夢み
踊るときにもつ尻尾をわたしたちに手渡したのだ。
草さえも かれらをほめたたえて芽を出した。
昨日 ここには広い村々があった。
わたしたちもかれらの道をたどるだろう
わたしたちの塵は 集会の場所に舞い上り
子どもはわたしたちの地面の上で ひとり踊るだろう。
   Ⅱ
饗宴をひらいて幸福なとき
どんなに多くの世代を
わたしたちは踊りぬくことだろう。
かれらは わたしたちが自分の足で歩いて着くことのできない
辺境から叫ぶ。
争いの広場に着くと
わたしたちの眼は夜の海のなかに押し入る
その広場で 人びとはいにしえの世代と競合して
休息の場所のためにたたかうのだ。
かれらの信頼できる声が起こる
祭りのあともとどまるだろう
かれらの歌につれて。
           『アジア・アフリカ詩集』より
           マジン・クネーネは南アフリカの詩人