ノリ・メ・タンヘレ

 ノリ・メ・タンヘレ、という言葉は知っていた。我に触れるな。
 
 もうじき店仕舞いするという古本屋で、その言葉がタイトルになっている本を見つけたのは、たぶん学生の頃。店じゅうの本が半額というので、まとめて数十冊買ったそのなかに、ホセ・リサールの『ノリ・メ・タンヘレ』とその続編『エル・フィリブステリスモ』(ともに岩崎玄訳)があった。
 そのときは知らなかったのだ。ホセ・リサールがフィリピンの国民的な英雄だ、などということは。本もしばらく積んだまま。結局、読んだのは、フィリピンを訪れた後だった。驚愕した。侵略と暴力と腐敗の現実、そのなかで純粋な理想主義者の青年イバルラは傷つき追いつめられていく。読むうちに、この世の残酷の構図みたいなものが、ふいにはっきりと理解できて、私は声あげて泣きそうになった。物語で冤罪のために処刑されそうになる青年は、そのまま、数年後に34歳で処刑されるリサールの運命の予言のようだ。
 続編の『エル・フィリ』では、イバルラは、テロリストになって帰ってくる。これは100年後の現在の世界にとっても切実な物語だ。
 2冊とも絶版なのが、とても残念。
 
 数年前に『見果てぬ祖国』(村上政彦著)という本が出て、これは『ノリ』と『エル・フィリ』を一冊にまとめたような作品。たとえば、ユゴーの『レ・ミゼラブル』が簡単にまとめられて『少女コゼット』として紹介されたような、そんな感じ。それはそれとして読まれてほしいけれど、やっぱり原文に忠実な訳で、出てほしい。
 
 ゴミの山の学校に1か月滞在した12年前の夏、毎日大雨で、ずっと停電だった。夜に、ろうそくの灯りで、『エル・フィリ』を読んでいた。火をともすと、かえって闇が深くなるような、あの夜の深さは忘れがたい。雨に閉じ込められて、ここがどこかわからなくなりそうな夜に、ろうそくの火をつけながら、生きることは、目の前に火をともすことからしかはじまらないんだと思った。そしてここは、たった一つの灯りがあるだけの場所だと、そのシンプルさに、何かしら救われるような思いでいた。
 
 不要な物思いに煩わされそうなときは、いまも、闇のなかに、一本のろうそくの火があっただけの、あの夜に立ち戻りたくなる。