赤い鳥小鳥

 子どもが歌っている。「赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」の歌。歌詞は北原白秋。私の幼年の記憶のなかにある歌でもあって(好きな歌だったのだ)、ふいに、その頃の景色が浮かんできたりする。祖父母の家の裏の小さな小屋に住んでいて、ベニヤ板の戸は開け放したまま、その入り口にすわって、中庭の木や、井戸で洗濯する母を見ていた。
 
 父方の祖母の家の古いアルバムには、若い日の軍服姿の祖父がいて、あれはなんの戦争だったのだろう。後年、ロシアに行ったとも支那に行ったとも、老いた祖母が言っていて、誰かどの戦争に行ったものやら。思えば、祖父母の生きた時代、明治の日露戦争、大正のシベリア出兵、昭和の日中戦争、太平洋戦争と、戦つづきなのだ。日中戦争には母の3人の兄たちも行った。
 祖父は早くに死んだが、祖母は長く生きた。祖母が12、3歳のときに、ロシア革命は起こったのだと気づいたのは、私が13歳のときで、それがとても不思議に思えた。過去の革命が、祖母を通して、ふいに現在につながってきたようで。
 むろん、6歳で父を亡くして7歳で奉公に出された祖母にとって、遠い国の革命など、記憶されることさえなかったろう。カタカナがようやく読める以外は読み書きも不自由だった。「おしん」のドラマが放映されたときは、わしも同じやった、と言って泣きながら見ていた。
 
 歴史ロシア革命にいたりその年に祖母はわたしと同い年なりき (野樹かずみ)
 
 ソ連という国もとっくに消滅し、96歳まで生きた祖母も6年前に死んだけれど。
 大正、という時代。ソ連という国が生まれ、少女の祖母がおしんをしていた時代がかつてあったということ。ちょうど、図書館で借りてきた『白樺たちの大正』(関川夏央)という本を読んでいるのだが、教えもしないのにどこかでおぼえて子どもが歌っている赤い鳥の歌も、ああ、そのあたりから飛んできたのだ。