幸福について

 ゴミの山の学校に滞在していた12年前の12月、乾季で、ゴミの山は自然発火の炎があがり、煙が教室まで流れ込んでいた。そのときの滞在中に読んでいたのが、ホセ・リサールの英語の本だった。たぶん高校生がテキストで使うような、そんな体裁で、彼の長編2冊といくつかの論文から、人生や青春、民主主義などについての言葉が抜粋されていた。それから、処刑の前日に書いて、ランプに隠して家族に渡された長い詩、「さようなら、わたしの祖国よ」ではじまる詩と、そのほかの数編の詩をおさめた、ごく薄い本。紙質は悪く、茶色でざらざら、さわると指の先から崩れていってしまいそうだったが、まあ、そういう本を読んでいた。
 最後の詩、は、日本語の評伝にも必ずおさめられているし、マニラの記念館でも日本語で読むことができたので、翻訳で読めない別の詩を読んでいたのだが、あるフレーズにいきあたったとき、戦慄した。訳が正しいかどうか、わからないけれど、私はそのように読んだ。
 
  愛もなくやさしさもないここに
  落ちていく自然のドレスの上に
  私の幸福はそれ自体書かれていた 
 
 本当にそうか。青空のした煙たいゴミの上を歩きながら思っていた。それから思った。ここが、幸福な土地だと、信じてみよう。
 たぶん、その詩を読んでいなかったら、それからもずっと、とてもつらかった年も、ゴミの山に通いつづけたかどうか、わからない。
 最初に読んだときからずっと、その詩のことを考えている。あの3行のフレーズについて、いまも。