文体とか言葉とか歴史とか

 ゴミの山の学校の支援のこと、助成金の申請をしようかと思いたって、申請書の説明を見ているのだが、なんだかとほうもない。
 支援をはじめた12年前、ちょうど不況で、あちこちのNGOに聞いても、助成金を減らされたとか打ち切られたとか、景気のよくない話ばかりで、申請してもどうせ相手にはしてもらえないだろうと、申請する気にもならなかったのだが、それで、心ある人たちの寄付にだけ頼って、12年やってきて、それなりに安定しているといえばいえるし、明日どうなるかわからない自転車操業をよくも12年続けてきた、とも思えるし、それにしても毎年、お金がない、お金がない、とばかり言っている気がする。
 たしかにないのだ。増築工事は去年の夏から中断したままだし、子どもたちの給食は、量を減らしながらも続けてきたが、一時中断せざるをえなかったし、痛手は、ベテランの教師が、別の仕事を見つけてやめてしまったことだ。給料が安いせい。これ以上きりつめようがないくらいきりつめていて、もうすこし余裕のある運営ができないだろうか。屋根だけあって壁がない3階の教室は使いようがないし、増築工事を再開するにもまとまったお金がいる。
 それで助成金の申請を思い立ったわけだった。しかしいったい、どれだけの書類をそろえればいいんだろう。
 こういう書類には、こういう書類向けの文体があるようで、それは、ニュースレターでスポンサーのみなさんにお知らせする文体とも違うし、学生さんたちに、学校のことを話すときの文体とも違うし、雑誌に記事を書くような文体とも違う。なじみのない文体なのである。それで、いちいち言葉を見つけるのに苦労する。それはもう思いのほか。
 そういえば、支援をはじめた最初、学校はあったけれども、子どもたちもいたけれども、言葉はなかった。彼らのことを語る言葉がなかった。はじめて目にする光景は、これはいったいなんなのか、ああ、あの頃も言葉をさがした。ゴミの山の子どもたちについて、そこにある学校について、その学校が潰れそうなことについて、言葉をさがして、それからお金を集めた。それで学校がつづいてきたことを思えば、たしかに言葉は、歴史をつくるのだ。たぶん、ものすごく幸福な経験を私はさせてもらった。
 
 そろえなければいけない書類の多さに呆然とするが、ひとつひとつ用意していくしかない。
 団体規約、というものをつくった。昔一度つくったが、そのころとは状況も違ってきたのでつくりなおした。
 「団体の目的」として、「フィリピン、ケソン市パヤタスのゴミ山周辺、および隣接するリサール州モンタルバンの再定住地の貧困家庭の子どもたちへ、基礎教育を提供するフリースクールの運営を支援する。」と書いた。
 あらためて言葉にすると不思議な感じだ。まあ、そういうことをしてきたんである。たくさんの人と一緒に。それで、助成金をもらえようがもらえまいが、これからも、続けていくんである。くる日もくる日もABC、くる日もくる日も2×2=4と教室で声はりあげている子どもたちがいる間は。