旅の途上

 どうかして自分という存在を消してしまえないものかと思っていたのは十代の半ば頃。存在するということそのものが、何かしら耐えがたいことと思えた。今ある私だけでなく、他人の記憶のなかに残っているかもしれない私についても、この世に存在したことの痕跡も何もかも、命の根こそぎ、消し去ってしまえないか。
 とはいえ、どこかに出奔するとしても、出奔した私をもてあますに違いなく、死んでしまうことまでは思いが及ばず、本を読むか、受験勉強するかして、(そうしている間は、それ以外のことを忘れられたから)、数年をやり過ごしたが、これ以上は耐えられない、もう、どうしても自分を消さなければならない、なぜなら存在は罪悪だから、と思いつめた19歳の夜に、なぜか同時に、「死んでも私はなくならないだろう」、と妙に澄みかえった意識で思った。それはもう絶望的な、叫び出したいようなことだったが。はっきりと思ったのだ。もしかしたら人は苦悩の底で自死したりするのかもしれないが、それはきっとぶざまな生にぶざまな死をつなぐだけのこと、苦悩の永続に過ぎないだろう、と。死は、もしかしたら忘れ去られることを容易にするかもしれないが、消しゴムにはならない。
 今はもう、命の根こそぎ消し去ってしまえないか、と泡立つような嫌悪で思ったりもしないのだが、それでもいまも、求めているのはやはり、ひとつの大きな消しゴムだという気がする。死は、消しゴムにはならないから、生きて求める、たとえば、普遍、たとえば、光。
 
 ある日届いた『深海探索艇』(田中健太郎)という詩集に、「プラハユダヤ人墓地にて」という詩があって、たぶんその詩を読んだせいで、そんなことを思い出したのだ。詩はユダヤ人墓地を訪れたときのこと、旅の終わりの空港の光景、それから
    でも本当は
    生も死も
    いかなる辱めも
    すべて旅の途上だ 
 
 という最後の4行は、きっとずっと覚えていると思う。