「はみだしっ子」

 夕方のスーパーでは、小さい子たちが小さいお手伝いカートを押して、というより暴走させていたり、追いかけっこをしていたりする。お手伝いカートに菓子を入れて、あちこちぶつけながら走っていた私の子どもは、大好きなさやちゃんを見つけると、カート放り出して追いかけていった。
 さやちゃんもいなくなり、買い物を終えて帰ろうとすると、一緒に出口まできた子どもが、急に店の奥に向かって走り出す。ときどき振り向いては笑う。親を相手に追いかけっこをする気らしいが、かんべんしてほしい。
 どこかで知っている、とふと思った。走っていく子どもも、振り向いて笑っている顔もすでにどこかで見たことがある。日ごろよくあることではあるのだが、子どもの顔の向こうに、別の顔が透けている。ああそうだ、まんがだ。三原順の「はみだしっ子」に、そんな場面があった。走って逃げる小さい子は、ママ追いかけて、といっているのである。しょうがない、追いかけた。
 
 「はみだしっ子」は4人の小さな男の子たちの話だった。まだ10歳にもならないくらいの。それぞれ親たちとの関係で傷つき、家出していた男の子たちの旅。なんていえばいいんだろう、子どもが子どもとも思えない理屈をこねる話、トラウマをひきずりながら生きる困難についての話、友情や喪失について、何はともあれ、胸が痛くなる物語。そのまんがを読んだのは、小学校6年のときで、私は号泣した。コミックをもっていたが、いつのまにかなくなっていて、その後、買いなおした、と思う。どこかにしまってあるはずだ。著者はまだ若くて亡くなったのではなかったろうか。
 久しぶりに思い出して、なつかしい気持ちがする。たぶん11歳か12歳であの本を読んだのは、大きなことだった。大人に逆らうことをおそれなくていいと、言ってくれるようだったのだ。
 子どもは、多かれ少なかれ、大人をかばって生きていると思う。大人は子どもをかばったりしない。子どもが大人をかばっている。かばってもらう値打ちのない大人がどんなに多いか、ということに気づいて呆然とするのはずっと後になってからだ。
 お願いだからちびさん、きみは親をかばって自分を歪めたりしないですむように。親孝行なんか決して考えずに、適当な時期がきたら、どこへでも、君がゆくべきと思うところに出て行きなさい。そうして、たったひとりでもいいから、本心から敬愛できるまともな大人に、出会うことができるように。