給食費

 給食費を払わない親が増えている、というニュースを見ていて思い出した。中学1年の1学期、私は会計委員だった。望んでなったのではなく、中学にあがったばかりなので担任が勝手に決めたのだが、仕事は毎月の給食費の徴収だった。まじめな生徒だったから、終わりの会では、給食費をもってきてくださいと言い、何日ももってこない人がいると、○○さん××くん、もってきてくださいと名指しで言っていた。もちろん、給食費を免除されている生徒がいることは知っていたし、地域の事情なのか、クラスに何人もいたし、そういう人たちに、もってきてと言ったりはしなかった。
 先月まで払っていた数人が、今月なかなか払わないのがなぜなのか、担任は私に言わなかったし、当人たちも言わなかった。それで、私は終わりの会で言ったのだ。△△さん□□くん、給食費をもってきてください。その日担任はいなくて学年主任がいたのだが、学年主任は私を呼び出すと、家庭の事情で給食費を免除されている人もいるのだと、小さな声で諭した。ええ、もちろん、そんなことは知っていますが。どうやら今月から新たに免除になった生徒がいるということらしかった。
 どう考えたって、私にそれを言わなかった担任の落ち度だが、クラスの冷ややかな視線を浴びたのは私だった。私は温情のない、人の事情というものを理解しない、鈍くて、冷たい取り立て屋だったのだ。
 それから数ヶ月して、2学期になりクラスの委員を決めるとき、たいていの委員は再任されたのに、私を会計委員に推す人はいなかった。あの日のことがあるから、もちろんそうなるだろうと思っていて、私を会計委員にしなかったクラスの人たちを少し、信頼した。運良く私は図書委員になり、それからクラスがかわっても卒業までずっと、図書委員だった。会計委員なんて、給食費の徴収なんて、まっぴらごめんだった。
 今はどうなんだろう。生徒に給食費の徴収なんてさせたりするんだろうか。あの頃は、70年代だが、払えるのに払わない、なんてことはありえなかった気がする。払えるのに払わない、そういうずるいことをしていると、人間が内側から腐っていくと思うんだが。
 
 支援しているフィリピンのゴミの山のスラムにある学校でも、給食費を徴収している。もっとも1円とか2円とか、限りなく無償に近い金額だが、金銭のためでなく、親の教育のためにそうしているんだと、校長先生は言った。与えられるのを待つだけの人間になってはいけないし、子どもたちをそういう人間にしてはいけない。