くじら

 これは、宇和島の海ではないだろうか。ニュースの画面に映っていたのはやはりそうで、なつかしさに泣きそうになる。あの海を見下ろすあたりの山の中腹で、春が来る度、子どもの私は山菜取りをしていた。眼下に見おろしていたおだやかな春の海。小学校の遠足でうんざりするほど歩かされた海岸の道。釣り好きの叔父がどこかで、昨日あたりも釣りをしていたかもしれない。
 夏に、早朝、暗いうちから小さな舟を借りて、家族や親戚と沖の小島まで、遊びに行ったことが何度かあった。あの頃、父や母や叔父たちは、いまの私よりも若かったのだ。船酔いして海の上に吐いたこと、舟の上に散乱している釣り糸を踏んで叱られたこと、従姉の子ども、麻痺で寝たきりの小さな女の子も一緒だった。彼女にさしかけられていた白いパラソル
 
 風土は人の顔をつくるだろうか。東京にいた頃、青春18切符で24時間かけて帰省したとき、海を渡った頃から、乗客を見ていて、ああ、四国の人間の顔だと思った。松山を過ぎると、耳に入る言葉も人の顔も、ああ宇和島だ、としか言いようのない何かになる。
 それにしても、最近全国ニュースで、郷里の名前をよく見る。腎臓移植、高校にいのししが出たこと、中学校での教師の暴力。昨日のニュースは、痛ましかった。やりきれない事故だ。
 
 13日午後3時20分ごろ、愛媛県宇和島市沖の宇和島湾で迷い込んだマッコウクジラ(体長15メートル)を助けるため湾外に引き出そうとロープを掛けて引く作業をしていたボート1隻がクジラが暴れ出したため転覆。乗組員3人のうち2人は近くの漁船などに助け上げられたが、近くの漁業、山本宣行さん(58)が行方不明となり、約1時間半後に見つかったが、死亡が確認された。死因は水死。(毎日新聞)
 
 呉で、潜水艦を見たときに、鯨みたいだと思ったが、ニュースで見た鯨は潜水艦みたいだった。映っていた漁師たちの顔や言葉や物腰が、記憶のどこかに触れてくる。あんななかに、いたのだ。そういえば、もう何年も郷里へ帰っていない。
 
 迷い込んできた鯨は、食べてはいけなかったのだろうか。昔は、学校給食でも、鯨肉はよく出てきた。好きなメニューだったのだ。学生の頃、バイト先の定食のメニューにもあった。それが、あるときからなくなった。どれくらい食べていないんだろう。鯨食べたい。なんだかむしょうに、鯨食べたい。