戦争の方角

 イラク戦争がはじまって4年目の3月ということになるんだろうか。ちょうど子どもの妊娠がわかった日に、ブッシュがイラクを攻撃すると言っているのを聞いたので、覚えている。空爆は私の胎児をねらうように思え、なんだか自分がとても愚弄されている気がしたのだった。

 「戦争が終わってぼくらは生まれた」という曲、「戦争を知らない子どもたち」を小学校の学芸会か何かで歌った記憶がある。子どもの頃に戦争だった親たちから、あんたたちは戦争がなくて、いい時代に生まれた、とそればかりを言われて育って、戦争は過去の方角だとずっと思っていた。そしてそれはどんどん遠くなっていくんだろうと。ベトナム戦争はまだ終わっていなかったが、海の向こうの戦争のことを考えるにはまだ幼くて、戦争の終わりは、ようやく覚えた2つの国と首都の名前が1つに減ったことで知ったが、ともあれ、戦争というのは、終わるものだと思っていた。そして過去の方角に遠ざかる。

 戦争が、はじまるものでもあるのだと、驚いたのは、湾岸戦争だった。下宿の壊れかかったテレビ、音は聞こえるけれど、画面は砂嵐、というテレビで、過去ではない、現在の戦争に耳傾けていた。それから4年前、ブッシュが戦争を始めると言ったとき、絶望的な気持ちで理解したのは、戦争が未来の方角にもあるということだった。

 戦争がはじまってから生まれた私の子どもは3歳を過ぎたけれど、戦争はまだ終わっていない。気づかなくても、戦争の傍らで生きている。