まむし注意

 降る桜の下でボール投げをした。ボールを追って犬の子のように駆けてゆく。それから運動公園を山道のほうに抜けて、見上げると、山の中腹は、桜、山桜、もくれん、れんぎょう、山吹と、花盛りの森だった。小さなあずまやまである。山登りのコースになっているようだった。何度も見ている場所なのに、気づかなかった。行ってみようと歩き出したはよかったが、途中でおんぶをせがむ子どもを背負って坂をのぼるのは息が切れた。「まむし注意」の大きな立て札。

 子どもの頃、春は山の中で、ちょうどこんな場所で、ひとりで、なんにもしないで、一日過ごした。山のなかをぼんやり歩いて、日にぬくめられて、ひとりで、なんにもしないで。故郷を出てからも、春になると、帰省したくなったのは、春の山のなかで、ぼんやりぼんやり過ごしたかったからなのだ。風景のなかに自分が溶けて消えてしまうまで、日の泡になって消えるまで、ぼんやりぼんやり春の山のなかにいたかった。

 日が翳ってくるし、子どもを連れて帰る体力を残しておかなければいけないし、まむしに遭遇するのもごめんだし、ぼんやりぼんやりするわけにいかず、「まだかえらないのー」と泣く子を連れて帰る。