糸を買う

 フィリピンから一時帰国している友人に会う。ゴミの山の学校の最近の写真を見せてもらう。ゴミ山を拡張するために、校舎が移転させられたのだが、古いほうの校舎が取り壊される様子も。1988年から子どもたちの学び舎だった建物。傍らの椰子の木も見当たらないのは倒されてしまったのだろうか。何もかもゴミのなかだ、もう。すでに記憶のなかにしか存在しない、建物、集落、椰子の木。

 捨てられて椰子の根もとに埋められた赤ん坊そろそろ二十歳だろうか (野樹かずみ) 

 街へ降りると子どもは電車に乗りたい。一番前の席にすわるために、わざわざ港まで行って、そこから電車に乗る。仕事に行くわけでもなく、何かにせかされるようでもなく、ただ電車に乗るためにだけ電車に乗っているという、不思議にぜいたくな時間。学生の頃は、電車なんか使わない。もっぱら自転車でどこへでも行った。夜に、とりわけ雨の夜に、電車を見ると、オレンジ色のあかりはあたたかく見えて、その光の箱に乗りたかった。

 ミシン糸を買う。破れたジーパンを繕おうとミシンを動かしていたら、途中で糸がなくなったのだ。すでに4箇所目の穴。別のジャージの穴には、子どものベビー服のくまのアップリケをつけた。糸を買うなんて、とても久しぶり。「一週間」という曲を思い出したりするが、ひどく素朴な場所に立ち返ったような感じがする。糸を買う、なんて。