撃たれた長崎の伊藤市長が亡くなった。ひどい話だ。ご冥福を。
 一方、アメリカの大学の銃乱射事件。これは銃社会の悲劇だろう。
 
 銃を欲しいと思ったことがあった。むかしむかし。そうしたらすぐに死ねるのに。なくて幸いだった。もしも手もとに銃があったら、使い方を知っていたら、人を殺したり自分を殺したりしないですんだかどうか、私について言えば自信がない。身近な誰かが持っていたとして、殺されずにすんだか、についても極めて不安。
 心が壊れることはある。怨恨も憎悪もある。殺意もある。絶望もある。そのようなときに無力でいられること、凶器がないことがまず大切だ。
 
 日本という国、特別な環境や仕事に就くのでなければ、いまのところ、生まれてから死ぬまで、一度も銃をもたず、見ることもなく、生きることができる、その点については、戦後にこの国に生まれたことを感謝します。どうか今が、戦前でありませんように。