チャーリーとの旅

 「チャーリーとの旅」というタイトルのスタインベックの本が、今ごろ翻訳されている。1960年頃のアメリカの旅を綴った紀行文。
 ことに印象的だったのは南部のニューオリンズの人種差別の光景。白人だけの小学校に2人の黒人の子どもが通いはじめたことに対して、「チアリーダーズ」と呼ばれていた太った女たちが、母親代表の顔をして、その小学校の前で、通ってくる黒人の子に、罵詈雑言を浴びせる、それを野次馬とマスコミが取り囲むという、ぞっとする光景。「狂ったような残酷さ」「浅はかな残忍さ」と、スタインベックは激怒している。キング牧師ひきいる黒人の公民権運動が高まっていた時期だが、その背景にあった現実だろう。
 
 似たような光景を、どこかで見たことがあると思い、思い出した。10年ほども昔になるんだろうか、服役中のオウム真理教の女性幹部の双子の子どもが小学校に入学するというときに、その小学校への入学を反対して、親たちがまくしたてていた。太った母親が、オウムの子どもと、自分の子どもが机を並べるなんて、そんなおそろしいことは考えられないと、とりわけ大きな声で叫んでいて、毎日毎日テレビでしゃべっていたと思うのは、たぶん繰り返し報道されたからだろうが、そんなことをしゃべっている自分を恥ずかしくないんだろうかと、私は仰天したんだが、彼女は良識の代表のつもりだったんだろう。親がなんであれ、6歳の子どもを義務教育の場から排斥しようとやっきになるなんて狂っていると思うが、そんな女のいうことを、もっともらしく取り上げているマスコミにも呆然とした。何日も何日もたってから、繰り返される画面の女の顔の目の部分が黒く隠されるようになって、その女が良識の代表なんかでないことに、やっとマスコミも気づいたのかと思ったけれど。
 それからどうなったのだろう。小さな後ろ姿の女の子たちだった。すこやかに成長していますように。
 
 北カリフォルニアの故郷を訪れたくだりも印象的。故郷への困惑はなんだか胸にくる。着地しようとしてもできないのだ。何かがかわってしまっていて。きっと故郷は、帰ってゆけるところではない。帰ってゆける人もあるのかもしれないが、それ以前に、故郷を離れずにすむ人たちもあるのかもしれないが。
 「人は再び故郷に帰ることはできない。故郷は消え去り、遠い記憶の中にしか存在しないものなのだ」ということを、トム・ウルフという人が言っていたらしい。室生犀星も言ってたね。ふるさとは遠きにありて思ふもの。