さくらんぼの実る頃

 近くの公園のさくらんぼの木に、実がなっている。近くの女の子たちが、摘んでいて、私たちが行くと、手に握りしめていたのを(それですこしべたべたするが)わけてくれた。ちびさんにくれたのだが、ちびさん2つほど食べて、いらないという。それで残りは私が食べた。ついでに少し摘ん帰る。小さくてすっぱいが、きれいなさくらんぼだった。
 
 子どもの頃、2軒隣の家にさくらんぼの木があった。ひとつ年上の女の子が、おばあさんと未婚の叔父さん叔母さんと住んでいた。両親は事故で亡くなっていたのだ。小学校の頃はよく一緒に遊んだ。彼女が、庭のさくらんぼの実を、わけてくれたことがあった。缶詰ではない、生のさくらんぼを食べたのはそれがはじめてだった。
 私が中学生になった頃から、彼女を見かけなくなった。家もいつのまにか引っ越していた。
 再会したのは、高校の入学式。しかも同じ学年だった。1歳年上の彼女がなぜ? それも頭のいい彼女がなぜH高校に行かず、この高校にいるのか。私は動揺して、声もかけられなかった。そして、声をかけられないままでいるうちに、彼女はまたいなくなった。2年生になったときには、生徒名簿からも名前が消えていた。
 ずっと後になって、当時の彼女の担任から、彼女は退学したのだと聞かされた。1年遅れたのは、中学時代に不登校になったためだった。フランスの詩が好きで、フランス語を学びたがっていた。そのため東京に行くのだと言っていた。担任は卒業まで待てといったが、待たなかった。
 実際に彼女がそれからどうしたのか、わからない。東京に行ったのか、フランスまで行ったのか、噂のひとつも聞かない。
 でも、フランスに行きたがっていたと聞いたとき、そのために学校をやめたとき、本当はもっと別の理由だったかもしれないけれど、そう聞いたとき、私はなんだか胸がやけるような気持ちがした。置いていかれた、と思った。また置いていかれた。
 
 さくらんぼの木のあったあの家は、火事で焼けてしまった。それから何年かのうちには、私たちが暮らしていた家も含めて、あたりの家々は取り壊され、やがて新しい家が建ち、風景はすっかり変わってしまった。何年か前訪れたときは、彼女の家があった一角だけ、更地だった。土地が売れないでいるのだろう。さくらんぼの木が一本、更地の隅に立っていた。
 彼女は、私の最初のあこがれだった。