そりゃ ぼくたちは

 ようやく数日前、衣替えをした。といっても夫と子どものだけ。自分の分はまだである。最近部屋を、子どものレールが占領していて、しんかんせんとトーマスが走っていて、なかなかものを広げられないのだ。もっとも私は寒がりだから、夏服を出すにはまだすこし早い。
 もしかしたら子どもは、パパ似の暑がりかもしれない。昨日は暑かったらしいが、(でも私は長袖に上着まではおっていたが)、子どもは半袖半ズボンにしているのに、すぐに脱ぐ。何度着せてもすぐに脱ぐ。結局昼間はずっと、裸んぼうだった。背中の蒙古斑が見事な、3歳半のおむつ姿。「トイレいや、おむつがいい」と、かたくなである。どうするか。それでもって、その格好で、机にのぼって、パソコンでお絵かきして遊んでいる。途中でCDを入れ替えたりしている。昨日、彼がかけたのはジャック・ブレルだった。久しぶりに聴いた。「泣く友を見る」はいいなあ。
 一日中家のなかで、退屈したのだ、夕方、おでかけする、ぶっぶーにのる、とうるさく泣くが、そんな裸んぼうのまま、どこにも連れていけません、と言ったら、ようやくおとなしく服を着た。この調子だと夏じゅうちびさん、裸かな。
 
 泣く友を見る
(略)
そりゃ ぼくたちは挫折ばかりだ おまけにとどのつまりは死んでしまう
本体はとっくに頭を垂れてて まだ立っているのに驚くくらいだ
そりゃ 女は不実なものさ 鳥たちはあっちこっちで虐殺されてる
そりゃ ぼくらの心は飛べる翼を失くしてるよ
だけど 泣く友を見ることだ
 
そりゃ こうした街のどれもこれもが 中年の餓鬼どもによって荒廃してる
ぼくたちは無力でそれを救えない おまけにぼくらの愛情は歯痛持ちときてる
そりゃ 時代の進みは速過ぎるよ このメトロだって溺れた人で一杯だ
真実はぼくらを避けて通る
だけど泣く友を見ることだ
(略)