オルガン

 おんがくきょうしついくの、と子どもは言い、幼稚園に行かないかわりに行かせようか、ということになった。月に3回。
 もらったワークブックを眺めて、CDを聴いて、歌って、楽しみにしていたのである。
 それで、最初の授業が昨日あったのだが。
 ほかのお友だちは、先生のいうことをきいて、音楽にあわせてお遊戯したりしているのに、ちびさん、きみはどうして、ひとりで床に寝転んでいるんでしょうか。立たせたら、どうして、教室を走りまわるんでしょうか。やる気がないならいつやめたっていいんですけど、あいにく、ちびさん、これでけっこう楽しいようなのだ。みんなからかくれて、こっそりお遊戯の真似したりしている。それで、教室では歌わないくせに、家に帰ってから、大きな声で歌っていたりするんである。
 
 子どものパパは、小学校の頃、オルガン教室に通っていたらしい。中学校にあがるとき、ピアノ科にすすむか、やめるかで、両親がけんかをしたらしい。結局、やめると決めたのは、本人なのだが、本当は好きだったので続けたかったけど、親のけんかの原因になるのがつらくて、やめる、と言ったのだそうだ。だが、という。あとになってわかった。ぼくがピアノを習おうが習うまいが、けんかをする親はけんかをするのだ。
 
 私が小学校何年のときだったろう、家にオルガンがやってきた。親戚が、使わなくなったものを運んできてくれたもので、壊れて出ない音があった。
 うちでは買ってあげられないから、ありがたい、と母は喜んでいたが、オルガンがあっても弾けなければ、邪魔なだけである。
 小学校のはじめ頃、オルガンを習っていた友だちの家に遊びに行ったとき、オルガンに触らせてくれたのだが、そのとき友だちが私の指を見て、小指が短いから、ピアノやオルガンはむいてないよ、と言ったのだった。たしかに私の小指は短い。薬指の半分しかない。それで、ふうん、そういうものかと思って以来、オルガンやピアノを弾こうという気持ちはまったく持たなかった。
 あのオルガンはどうしたかな。もうとっくに捨てられたことは確かなのだが、高校を卒業するまで私の部屋にあった。片手で唯一弾けたのが、モーツァルトの子守唄だった。ねむれよいこよ、庭や牧場に、鳥もひつじも、みんなねむれば、月は窓から銀のひかりを、こぼすこの夜、ねむれや、だっけか、そんな歌。なぜその曲かというと、たまたま遊びにきた叔父が、教えてくれたのがその曲だったのだ。
 覚えているのは、オルガンのペダルの部分に、お金を隠していたこと。秘密の暗号文も、そこに隠していた。オルガンは、楽器ではなく、私の秘密の金庫だった。