いっせん

 たぶん、4歳ぐらいだったと思う。お菓子か何か買ってほしくて、母に言ったら、お金がない、と言われた。そんなことはないだろう、とさらに食い下がると、「もう1銭もないんです」と母は言った。
 いっせん?1銭という単位は知らない。一番小さいお金が1円である。いっせん、と聞いて思い浮かべたのは千円札。千円のことをいっせんと言っているのかと思った。しかし、私が欲しいのは、10円か20円である。いっせんなどという大きなものではない。いっせんがなくても10円はあるんじゃないか。そういうと、母は、財布を出してきた。「見てごらん。なんにもないんだから」
 振ってもなんにもおちてこない空っぽの財布を見て、私は何かを深く納得した。それ以来、お菓子をねだった記憶がない。
 
 生まれた頃には、存在しなかったはずの1銭という単位が、実は厳然と存在していることを知ったのは、隣のおばさんの内職を見てから。いつも、というわけではなかったが、ときどき内職をしていた。それは封筒の袋貼りだったり、お祝いのときに鳴らすクラッカーづくりだったりした。小学校の高学年ぐらいの頃だ、隣に遊びに行くと、おばさんが内職をしていて、おもしろそうなので、やりかたを教えてもらって手伝った。1個つくっていくらになるのか、と聞いたときに、銭、という言葉が出てきた。10個で何円、100個で何十円、だからつまり、1個何銭、なのだった。その単価の安さに呆然としたことを覚えている。1時間何十円にしかならない。そんなばかな、と何度も計算しなおすのだが、計算しなおしたって、増えるものではない。
 月にせいぜい数千円の収入にしかならなかったろうが、その数千円があるかないかが、いいようもなく切実だったのである。
 その切実さに、内職労働は支えられてきたのだ、と思う。
 
 フィリピンのゴミの山にあるフリースクールの支援にかかわっている。
 ゴミ山周辺の人たちはゴミ拾いで生計をたてているが、移転先の分校がある地域では、職がない。
 それで、女の人たちの内職をつくれないかというのが、なかなか実現しないのだが、ずっと前からのささやかな願いのひとつだ。
 貧しい人たちにとって、必要なのは、そんなにたくさんのお金ではない。ほんのわずかのお金である。子どもを小学校に行かせたり、病気のときに薬を買ったり、晩御飯にごはんだけでなく、おかずを添えられるような、そのほんのわずかのお金がないばかりに、とんでもない不利益をこうむったり、苦しい人生を強いられたりする。ほんのわずかが、切実に必要なのである。
 
 私も内職をはじめた。パソコンで、インターネットを使う類の内職。さすがに1銭2銭の単位ではないが、時間とるし、面倒で疲れる割に単価はやすい。しかも完璧な仕上がりでないと報酬はないという。目標(ノルマ)は1日ワンコイン以上。ワンコインといっても500円ではない。100円。つづけられるかつづけられないかわからないが、最初の報酬をもらうまではつづけてみよう。月に数千円の収入があるかないかがとても切実だという暮らしの事情は、数十年前の隣のおばさんの内職や、異国のスラムの暮らしと大差はないのである。