いちえん

 「1円を笑うものは1円に泣く」とか、よく言われたもんだが、1円にまつわる思い出はいろいろある。
 
 年の離れた兄が、東京だか大阪だか、どこか都会に行っていて、ときどき帰ってきたが、小学校のいつ頃だろう、もっていた豚の貯金箱を私にくれた。
 その貯金箱は1円玉がいっぱいはいっていて、なんだか宝物のようにうれしかった。
 すると、弟がその1円玉を欲しがった。しかし私はあげたくない。それでも欲しがるので10円玉と交換することにした。1円玉3枚と10円玉1枚のレート。ときどき1円玉を4枚にしてやると弟はうれしそうだった。弟は家のなかを探し回って10円玉をあつめ、私たちは取引きをしていた。
 出かけていた母が帰ってきて、その場面を見たのだった。「おまえは弟をだますようなことをして!」尋常でない怒り方だった。だましているといえばいえたので、私はひたすら泣いたことでした。取引はもちろん終了した。
 
 ちりもつもれば山になる。
 中学校3年のとき、模擬試験の代金450円だったが、持っていかなければならなかった。でもお金がないという。ないというわりには、小銭があちらこちら散らばっている家ではあった。父や兄の机の引出しとか、上着のポケットのなかとか、台所のどこかとか、探し集めると、1円玉と5円玉と10円玉しかなかったが、1円玉と5円玉と10円玉で、450円あったのだ。それを袋に入れて、翌日学校へもっていった。出席番号順に、教師のところにもっていったのだが、そんなお金の払い方をするのは、ジョークだと思われたらしい。教師も笑って受け取り、私の次の順番の人が、おつりをもらったら、1円玉と5円玉ばかりだった、と文句を言いにきたときも笑っていた。
 
 学生の頃は、風呂代を、1円玉を積み上げて払っていたりした。
 
 そういえば、1円玉に助けられたこともある。
 学生の頃、真夜中の道を歩いていた。雨が降っていたので、自転車に乗らず、傘をさしていた。下宿にかえるところだったのだが、ふっと後ろから人影があらわれた。まだ十代後半くらいの女の子ふたりと、もうすこし年上の男がひとり。
 女の子のひとりが私の横にきて、「姉ちゃん、金出しい」と言った。「金、ない」と言うと「じゃあ、かばん見しい」と言った。太い鎖をちゃらちゃら鳴らして、「騒いだら、これでしばくけんね」と言う。しかし、金がないのだから、逃げる理由もさわぐ理由もない。女の子たちは、近くの駐車場に私を連れ込むと、かばんのなかをさがしはじめた。財布をみつけて開ける。もうすこし入っていると思っていたが、そのとき財布のなかには、1円玉1個しか入ってなかった。「これだけ?」と女の子たちのへんな声。「うん、それだけ」
 「お姉さん、これでどうやって生活するん?」つっぱっていた女の子たちが、心配性のおばさんみたいなことを言う。「どうしようかって、思ってる」
 3人は顔を見合わせて「このお姉さん、かわいそうなけん、やめちゃろうやあ」ということになり、私は解放された。
 「お姉さん、悪かったな。気をつけて帰ってな」「うん、元気でね」と手を振って別れた。
 彼女たちもひもじかったろうな。せつなかったろうな。