親日派

 数日前、ニュースを見ていたら、報道特集で韓国の親日派論議をとりあげていた。
 日帝時代に、日本に追従したり日本を利する売国的行為をした、ということなのだろうが、誤解をおそれず言えば、当時朝鮮半島は日本だった。名前まで日本名になり、言葉まで日本語を強要された時代に、親日派ではなくて、どう生きられたか、ということも考えてしまう。
 もともとは、日本に侵略されていた時代に日本に追従して権力をもっていたものたちが、解放後も権力を握りつづけたことへの批判なのだろうが、それが今さら論議されているのも、なんなんだろなあ。抵抗の歌として有名な「アリラン」をつくった音楽家まで、親日派に数え上げたら、韓国そのものが、立つ瀬がなくなってしまうんじゃないか。
 親日派の一万人にも及ぶリストをつくったのが林鐘国ときいて驚いた。自分の父親の名前もそのなかにあったというから徹底している。
 林鐘国の本、学生の頃に読んだのだ。「親日文学論」。卒論のテーマが在日朝鮮人文学だったので卒論を書くための資料の一冊として読んだ。内容はおおかた忘れたが、親日であるかないかという基準が、優れた文学であるかないかを、あるいは文学者の生き方を判断する基準として、適切かどうかということに、とても疑問を感じたことを覚えている。
 
 日帝時代に、金史良が日本語で書いた小説をとても好きだが、そのなかに、日本の官憲に追従する朝鮮人の痛ましく滑稽な姿が描かれていたこと、あるいは、日本語でものを書くということの葛藤、あるいは、虐げられる側が虐げる側の論理を内面化したときの無惨や、そういったことが書かれていたことを思い出す。
 金素雲が、日本に長く暮らし、韓国と日本のはざまで、朝鮮民謡選や朝鮮童謡選を翻訳し紹介したこと、日本の美質と韓国の美質の両方を伝えようとしたことは、おまえはどっちの側の人間なのかと、言われても困るようなことだと思う。
 
 所属、の問題を考える。 
 個人が、民族や国家や国語に所属するのではなく、個人のなかに、民族や国家や国語が所属する、ときには複数の民族、国家、国語が所属すると思うのだ。人間ひとりの実存は、ひとつの国家やひとつの国語の枠をたやすくはみでてしまうものではないだろうか。
 親日派論議そのものを、よいとも悪いとも思わないが、よその国のことではあるが、関わりのあることでもあるので、複雑な気持ちになる、とはいえるが、個の実存が、国家や国語に優越するということをわきまえていないと、なんだか、苦しい方向に行ってしまうんじゃないだろうか。
 
 いや、親日派論議にかかわらず。
 
 なんにしても、諸悪の根源は、戦争と侵略にあることだけは、たしかだ。まったくひどいことをしたもんだと、思う。
 恨五百年、という言葉があるが、それを思えば戦後はまだ60年余。親日派論議が熱いのも当然かもしれない。
 
 そういえば、恨(ハン)は晴らすものではなく、解くのが、韓国の文化だと、何かの本で読んだ。親日派論議も、いつかすんなりほどけるだろうか。