従姉の死

ひろみ姉ちゃんが死んだ。7月31日。今日の午後、兄から電話。最後に会ったのはいつだったかしらと思う。20年ほど前、祖母の葬儀のときだ、と思い出す。
母の姉の娘なので、私の従姉。20歳年上だったんだなあと、はじめて知った。
癌だったらしい。でも、そんなこと誰も知らなかった。ひとり暮らしで、近所の友人に病院に行くように言われても、かたくなに行かなかったのが、4日前にやっと病院に行って、癌とわかって、今日亡くなった。

何もできることがない、と兄の声が沈痛だった。ひろみ姉ちゃんには家族がいない。最初に亡くなったのは、脳性麻痺の娘だった。ふじ子は私より数歳年下で、まだ16歳ぐらいだった。それから、夫が亡くなったと聞いたのが、十年ほど前? もっと前? 家計は、ひろみ姉ちゃんがずっとスナックで働いて支えていた。目が見えなくなった母親のきい伯母ちゃんと暮らしていて、きい伯母ちゃんも、去年ぐらいに亡くなったらしい。そのときに、里のほうの人らと喧嘩して、それで絶縁したらしい。

喪主は、近所の友だちが、ひろみ姉ちゃんに頼まれていて、名前だけの喪主になってくれたらしい。あとは、役所が片付けてくれるらしい。通夜も葬儀もなし。病院に荷物の片づけに行こうかと兄が足を運んだが、コロナ禍なので、喪主の人のほかは立ち入り禁止。

 

母の里には、小さな頃には、ときどき母に連れられて行ったが、中学生になる頃には行かなくなっていた。3人の伯父たちとの関係が気まずくなっていたようだ。母が死んだあと、伯父たちは絶縁を言ってきた。そんなこと、知ってか知らずか、ものともせず、ときおり顔をのぞかせていたらしいのは私の弟だが。
伯父たちもとっくに死んで、次の世代になっているんだろうけど、そっちの従兄姉たちのことは、私は誰ひとりも記憶にない。

 

母から聞いた話だ。姉のきい伯母ちゃんは、お嫁に行く前の夜に、行きたくないと言って、蚊帳のなかで、泣いていたらしい。娘のひろみちゃんが生まれて、それから別れたらしい。

母の里に行かなくなっても、ひろみ姉ちゃんの家とは行き来していた。学校から帰ると、家にきい伯母ちゃんが来ていて、私の母と花札して遊んでいたりした。ひろみ姉ちゃんは、脳性麻痺の子がいて、出かけることが難しかったから、私たちが遊びに行った。年末年始は、ひろみ姉ちゃんの家で、飲んで、花札してトランプして百人一首して、飲みつぶれて寝て、起きたら、凧揚げして、遊んだのだった。私たちの家族とひろみちゃんの家族と、父の弟とか、兄の友だちとか、近所の家の子とか。

子どもの頃に、ひろみ姉ちゃんが家にあった本を貸してくれて、読んだ。山本有三の「路傍の石」。ひろみ姉ちゃんの隣の家の女の子と百人一首して私が勝ったら、女の子は悔しかったらしく、ひろみ姉ちゃんと特訓して、翌年にはもう私は勝てなかった。

高校を卒業したあと、帰省のときに訪ねたことがあった。ふじ子が死んだ初盆のときに。ふじ子が死んだあとは、行かなくなった。

母の家のほう、つきあいのある親戚といっては、ひろみ姉ちゃんのとこしかなかったんだけど、消えてしまった。ひろみ姉ちゃんが、画家に頼んで描いてもらっていたふじ子の絵は、どうしただろう。ふじ子が死ぬ前の年だった。

会いたかった気がする。
ひろみ姉ちゃんが、まだ小さかったふじ子をベビーカーに乗せて、小学生の私を連れて、午後の道を歩いていたことを覚えている。

ひとりで、死んでいった。私はそれでいいのよ、と気丈な声が聞こえるような気もする。が。

 

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