「学而第一」

 「学而第一」は、論語のとても有名な一節。
 「子曰く、学んで時に之を習う。亦たよろこばしからずや。朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや。人知らずしていきどおらず。亦た君子ならずや。」
 この「学而第一」の最後の句が、「子曰く、人の己れを知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うれ)うるなり」であるということは、陳舜臣の『論語抄』を読んでいて知った。
 
 この言葉、ずっと以前、学生だったときに、40人ほどの学生たちと中国に行ったとき、上海から南京へ向かう汽車のなかで、一緒に行った男の友人が教えてくれたのだった。同じ車両に乗り合わせていたおじいさんたちは、大連から来たと言っていたのだったか。漢字の筆談をするのに使っていた私のスケッチブックに、友人が漢字で書き込んだのが、どんな漢字の並びだったか、もうスケッチブックがないのでわからないが、とにかく、「人の己れを知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うれ)うるなり」というこの言葉だった。ああ、出典は論語でしたか。
 
 そうか、人が自分をわかってくれないことを嘆くんじゃなくて、自分が人のことをわかっていないことを嘆くべきなのだと、言っているのだと思い、それはそのときの私に、ものの見方がひっくり返ったような鮮烈な印象だった。
 大連から来たおじいさんの前で、中国の言葉を知っているといって、その言葉をスケッチブックに書いていた友人の、妙に真剣な横顔も、なつかしい。
 
 わからないのは、子どもの発熱。いつも突然熱を出す。昨夜、みょうに甘えてくると思ったら、身体が熱い。半年に1度くらいは、熱が出るみたい。今朝は幸い熱はさがって、微熱はまだすこしありそうなんだが、おとなしく寝てくれていたりもしないのだった。昼ごはんなんにしよう。