ベトちゃんドクちゃん

 朝、庭に出たら、金木犀のにおいがした。シュウメイギクも咲いていた。
 
 6日、ベトナムのツーズー病院のベトちゃんが亡くなった。
 
 6年くらい前、『声を聞かせて、ベト』(グエンドク PHP出版)という本を読んだとき、記憶のなかでは小さな男の子だったふたりが、いつの間にか大人になっていることに驚いた。
 
 昔、結合双生児のベトちゃんドクちゃんがまだ分離手術をする前、5歳くらいだったろうか、結合したままの体で器用に助け合って立っている写真を見たことがある。すこし得意そうですこし恥ずかしそうな笑顔の、ふたりの男の子(体はひとつの)の写真だった。たしか写真家の大石芳野さんの撮影ではなかったろうか。
 
 あのころ私は学生で、家庭教師のバイトの帰りだった。雨が降っていて、たまたまその近くに知り合いが飲食店を開いたというので、バイトの帰りに、晩御飯を食べに寄ったのだった。そこでぱらぱらとめくった写真週刊誌に、その写真があった。
 
 憂鬱な気分のころだった。仕送りのない学生だったから、あれこれバイトはしたけれど、塾のバイトも家庭教師のバイトも嫌いで、何度かクビになり、クビになると収入的には困るけど、気分的にはほっとする、ということを繰り返していた。
 時給は安くても皿洗いやキャベツの千切りのバイトのほうが性にあった。(でもあのころと今と比べて、授業料が高騰したわりにはバイトの時給はあがっていないから、生まれるのがもう少し遅かったら、私はきっと大学に行けなかったろう)
 やりきれない日々だった。バイトと人間関係の混乱でいつも疲れていた気がする。大学の講義に出る元気は残っていなかったから、単位は揃わず、卒業の目途もたたず、授業料の滞納で、ほぼ一年中、掲示板に名前が貼り出されていたけれど、ときどき呼び出されたりしていたけれど。ついに授業料が払えなくて休学したりもしたんだけれど。休学する前くらいの時期だったかもしれない。
 
 それであの夜は雨が降っていて、どこにも出口の見えない感じで憂鬱で、(でもいつだって、出口なんか見えたためしはないわ)、とりあえず、お店に入って、顔見知りのマスターに、お好み焼きを頼んだら、お味噌汁までつけてくれたのがすこしうれしかった。店のマスターは、別の店で私にキャベツの千切りを教えてくれた人だったけれど、そういえばあの夜以来、会っていない。(せっかく開いたあのときの店は、収入が不安定な仕事を嫌った家族の反対で間もなく閉店したと聞いた)。
 
 もう場所も忘れてしまったけど、いまはどこにもないその店で、雨の夜に、5歳ぐらいのベトちゃんとドクちゃんが助け合って、上半身をそれぞれ右ななめ左ななめに傾けて上手にバランスをとって立っていた写真を、見たのだった。いかがわしい雑誌には不似合いな美しさで。
 
 あのベトちゃんドクちゃんの写真は、あの憂鬱な学生時代に見た、数少ない美しいもののひとつだった、と思う。