電車に乗って港へ

電車に乗って港へ行く。
「ママといっしょにみなみにいくのよ」と子どもが言うので驚く。
たしかに、港は南にあるのだが、どうして南とわかるのか。
そういえば日本地図のパズルで方角を教えたような気もする。
「みなみには、しんじゅとうだいがあるのよ」と子どもが言う。
わかった。ぐりとぐらの絵本だ。
 
電車は港へ向かっている。
「ママ、いまは?」と子どもがきく。窓から西日がさしている。
「いまは夕方。もうじき、おひさまが沈むよ」と言うと、
「ひはにしに」と子どもが言う。「おつきさまは?」ときく。
月は東に、と答えるべきだろうが、窓から見えないので、
「たぶん、東」と答える。
 
港には韓国物産館があって、キムチを買いに来たのだが、
しんじゅとうだいも見に行く。
とりあえず見える灯台を、しんじゅとうだい、ということにする。
いったい何十回、この港から船に乗ったろう。
私はどこへ行き、どこから帰ってきたのだろう。
空には、半分の月。
それから沈む太陽。
 
子どもは港から新型電車に乗るのがうれしい。
かならずいちばん前の席にすわる。
 
みなみまちろくちょうめ、という電停で降りて、
(南町ではなくて皆実町
古い知人の老夫婦を訪ねる。
おなかをすかせた子どもは遠慮も何もなく
胃ガンで胃を切除してからあまり食べられなくなったおじいちゃんの
ハーフサイズのカップヌードルをもらって食べる。
壁に貼ってある日本地図を北から全部の県名を読んで、
おばあちゃんを仰天させているが、
骨ガンで足の付け根の骨がなくなり、
もう一生寝たきりだろうと言われたおばあちゃんが、
この半年ほどの間にどんどん元気になり、
骨がないのに歩いている
ことのほうが、よっぽど仰天させられる話だ。
 
「この子がどうして自閉症なのよ」と不思議そうだが、
帰省したとき、父も兄も、おまえと一緒だな、と言ったというと、
思い出したらしい。
「そういえば、あんたはいつも机の下にもぐっていたわ。部屋も暗くてカーテンもしていて、誰もいないのかと思ったら、机の下から出てくる。私が、みかんをあげようとしたら、こんな小さいみかん食べないと言って、窓から放り捨てたのよ。うちの隣に越してきたころよ、おそろしい女の子がいると思ったわ」
みかんのことは覚えている。五歳か六歳のころだ。ほんとうは、小さいみかんだから食べない、のじゃなくて、皮のむきにくそうなみかんだから食べられないと思ったのだが、今だに弁明できずにいる。
みかんのことは忘れられない。だって、もう何十回もこうして話してくれるのだ。でも、あと百年も、話しつづけてくれたっていい。
 
電器屋で部品を買ってきた夫が、調子の悪いビデオデッキを修理して
といっても、ケーブルを取り替えただけなのだが、
それくらいのことで感謝されて、発泡酒ひとかかえもらって帰る。
ハーフサイズのカップヌードルとせんべいももらって帰る。