ダンボールハウス

ちびさん、柿の空き箱を、電車や人形のおうちにみたてて、遊んでいる。
そういえば小さい頃、ダンボールによくもぐった、と思い出し、引っ越しダンボールの残りがひとつあったので、ドアと窓をあけて、屋根にはバスタオルをかぶせて、おうちだよ、と言ったら、「りくちゃんのおうち!」と、さっそくもぐっていました。
 
土曜日、幼稚園の面接。問診表に、性格の欄があり、明るい、暗い、素直、反抗的、自主性に欠ける、などなど書いてあるが、何に丸をつければいいか、困る。明るいときもあれば、暗いときもある。自分が納得したことについては素直だが、納得にいたるまではいたって反抗的。関心のあることについては、極めて自主的に取り組むが、関心のないことについては、まったく自主性がない。 すこし考えて(といってもほんの1分ほど)、その他()、に(アスペルガー症候群の疑い)と書き入れた。
 
面接のときも、教室にある玩具や積み木が気になって椅子にすわれない。つんであった積み木を崩してしまったので、それをせっせともとに戻しはじめて、顔をあげることもしない。
これはもう、アスペルガーだと、最初に言っておこう。すると、「発達障害については、私たちもいま勉強中なんです」という返事だった。
ちびさん、最後に、名前と年齢だけは、答えられましたね。
 
昨日、街に降りたついでに、知人の老夫婦のところに寄る。親戚が古着を送ってくれるのだが、自分たちが着れるものはすこしだし、娘たちはいらないというし、でも捨てるには惜しいし、あんたたちが着るならと思ってとってあるわよ、と電話をくれたので、もらいに行ったのだ。親戚の人たち、いつもありがとう。サイズが大きいものもあるので、パパも着ています。
 
もらいもの大好き。というか、買い物がきらい。お金もないけど。
私の服、ほとんどすべてが、もらいもの、お下がりです。自分で買ったのって、下着と500円のシャツが数枚あるだけだわ。あと帽子。
捨てられるはずのものが、私のところに来たので、しばらくは捨てられずにすむ、というのが、少し、うれしい。
昔、子どものころに兄が買ってくれたきれいなセーターを、きれいだったので恥ずかしくて着れなくて、着ないまま小さくなってしまったということがあって、それがとっても申し訳なくて、以来、新しい服は、自分で買うのも買ってもらうのも苦手。(でも、たまには、もちろん、買ってもらったものが重宝だったり、うれしいということもあります)
 
子どもの服もおさがり、もっともこちらは、おばあちゃんが買ってくれる新品がすこしあります。せっかくおばあちゃんが買ってくれても、子どもが肌ざわりなどをいやがって着なかったりすると、私はものすごく申し訳ない気持ちになって、凹みます。その点では、古着は気楽。
 
で、その老夫婦の家には、電子辞書があって、ちびさんそれがどこにしまってあるかを知っている。さっそく取り出して(おじいちゃんは電池を入れ替えてくれていた)スペルをあてるゲームで遊びはじめる。当たる確率は26分の1。 
それから、カンカンのなかには動物クッキーがあって、ひとつひとつに、OXとか、OWL、MONKEY、CATなどと書いてあるのを、地道に辞書で調べては食べていました。男の子の牛さんをぱくり、ふくろうも猿も猫もぱくり。
 
風の強い一日だった。
「散りてひとなり」
ダンボールハウスに住む男性が詠んだという短歌の、最後の7音だけ、どこかで見たのを思い出した。