アジア人権賞授賞式

12月7日の夜、東京の韓国YMCAで、アジア人権賞の授賞式でした。
とてもいい会合だったと思います。
レティ先生のスピーチはすばらしかったし、通訳さんの声も聞きやすかった。
朝からずっと、あるいは午後から、お手伝いしてくれたみなさま、本当にありがとうございました。なんだか妙に忙しかったよね。
 
8日の夜の、ストリートチルドレンを考える会主催の学習会も、来てくださった方に、パアララン・パンタオのことをよくわかってもらえる、よい内容だったと思います。
定員30名の部屋だけど40名以上いたと思う、立ち見や、床に座り見も出ていました。
 
9日の大学での交流会は、とってもリラックスして楽しませていただきました。何よりありがたかったのは、大学生のお兄さんお姉さんたちが、うちのちびさんの相手をしてくれたことです。ほんと、ありがとうございました。
 
遠方から、たくさんの友人のみなさんが、泊まりがけで出てきてくださったり、お祝いを送ってくださったり、ありがとうございました。
はじめて会う人、6年ぶり10年ぶり15年ぶりぐらいで再会した人、本当にうれしかったです。
パアララン・パンタオの友人たち同士でさえ、集まる機会ももてずにいるのが、今回はいきなり、他のいくつもの団体とも一緒に会合をもつようなことになり、あたふたばたばた、でしたが、いい経験になったと思います。
何より、レティ先生とジェイに会えて、私は家族も紹介できて、うれしかったです。まさか日本で会えるなんて。
 
すべての行事を無事終えた、9日の深夜には、いま日本で暮らしているレティ先生の親戚のクヤ・アルと彼の家族にも再会しました。
10日の朝、レティ先生たちはアルのところへ。今日の朝、帰国の予定。
 
私は、アルとは8年くらい前パヤタスで会っていて、あのときはレティ先生の家族や親戚たちと、みんなで一緒にアルの車で海に遊びに行ったのよね。これがすごい車で、左右のタイヤの大きさが違うとか、途中で煙を吐きだしたりとか、3時間くらいで着くといったのが、8時間くらいかかったんじゃないだろうか、海に着いたら、すでに夕方、すぐに夜、すこしだけ、水遊びをして、かまどをつくって魚を焼いて、バナナの葉の上にごはんと魚をのせて食べて、夜明け前にマニラまで帰ってきたところで、車、ついに動かなくなり、あとはタクシーかジープで帰った記憶がある。面白い旅だった。疲れたけど。
 
10日の夜、私たち家族は広島に帰ってきました。
ちびさん、電車で遊ぶときの駅名が、今まで、山口とか津和野とかだったのが、東京から帰ってからは、お茶の水、とか、阿佐ヶ谷、とかに変わっている……