菱川善夫先生、15日に逝去。胃癌だったという。78歳。
16日の未明に、Kさんからのメールで知りました。
とてもショックです。たいへんさびしい。
生前2度お会いしました。91年12月は東京で。短歌研究新人賞の授賞式のときに。92年3月は北海道札幌で。
北海道に行ったとき、私も怖いもの知らずでしたが、電話をかけてみたら、気持ちよく時間をつくってくださって、ごはんを食べさせてもらいました。
私が菱川先生に会って、本当にびっくりしたのは、私なんかがしゃべることを、まじめにきいてくれる大人がいたということです。私の卒論を読んでくださって、卒論を送ってもらったお礼に、とハンカチをくださった。
大事にもってます。それから何通かの葉書と。
『素手でつかむ火─90年代短歌論』を送ってくださった頃、私はもうとっくに短歌から離れていて、そもそも歌壇というところには、最初っから縁がないような感じだったんだけれど、でも先生から、ご本送っていただいたときに(東京にいた最後の年だった)、歌集を出そうか、と私は思った。どうかして、けじめはつけよう、と思った。
先生が私の短歌をおぼえていてくださる、ということがなかったら、きっと、私は歌集を出す勇気はなかったと思います。
それで私は、そういうことを、きちんと先生にお礼を言っただろうか。
ああ。
先生のご冥福をお祈りします。ほんとうにありがとうございました。
16日の未明に、Kさんからのメールで知りました。
とてもショックです。たいへんさびしい。
生前2度お会いしました。91年12月は東京で。短歌研究新人賞の授賞式のときに。92年3月は北海道札幌で。
北海道に行ったとき、私も怖いもの知らずでしたが、電話をかけてみたら、気持ちよく時間をつくってくださって、ごはんを食べさせてもらいました。
私が菱川先生に会って、本当にびっくりしたのは、私なんかがしゃべることを、まじめにきいてくれる大人がいたということです。私の卒論を読んでくださって、卒論を送ってもらったお礼に、とハンカチをくださった。
大事にもってます。それから何通かの葉書と。
『素手でつかむ火─90年代短歌論』を送ってくださった頃、私はもうとっくに短歌から離れていて、そもそも歌壇というところには、最初っから縁がないような感じだったんだけれど、でも先生から、ご本送っていただいたときに(東京にいた最後の年だった)、歌集を出そうか、と私は思った。どうかして、けじめはつけよう、と思った。
先生が私の短歌をおぼえていてくださる、ということがなかったら、きっと、私は歌集を出す勇気はなかったと思います。
それで私は、そういうことを、きちんと先生にお礼を言っただろうか。
ああ。
先生のご冥福をお祈りします。ほんとうにありがとうございました。