初版は昭和52年だが、私がもっているのは平成3年4刷発行。その頃に読んだのだ。
『鑑賞 中城ふみ子の秀歌』菱川善夫著 短歌新聞社
たぶん15年ぶりぐらいにこの本を開いた。迷わずに、すぐにそのページを見つけられた。171ページ。
「まことに、人生を切り拓くのは言葉であって、体験ではない。言葉を所有するときの内的経験である。」
あのころ、そのような言葉として、短歌をあこがれて、数年後、菱川先生がそのように書いたことが本当だと、思ったときに、私は短歌をこわくなった。
もう短歌は書かないだろう、と思っていたんだけれど。
15年間、何かの呪文のように、ずっと思い出しつづけた言葉。たぶんこれからも忘れないだろう。
「まことに、人生を切り拓くのは言葉であって、体験ではない。言葉を所有するときの内的経験である。」
『鑑賞 中城ふみ子の秀歌』菱川善夫著 短歌新聞社
たぶん15年ぶりぐらいにこの本を開いた。迷わずに、すぐにそのページを見つけられた。171ページ。
「まことに、人生を切り拓くのは言葉であって、体験ではない。言葉を所有するときの内的経験である。」
あのころ、そのような言葉として、短歌をあこがれて、数年後、菱川先生がそのように書いたことが本当だと、思ったときに、私は短歌をこわくなった。
もう短歌は書かないだろう、と思っていたんだけれど。
15年間、何かの呪文のように、ずっと思い出しつづけた言葉。たぶんこれからも忘れないだろう。
「まことに、人生を切り拓くのは言葉であって、体験ではない。言葉を所有するときの内的経験である。」