生きているということ

昨日の昼、療育センターのお友だちと食事会。母たち5人、男の子たち4人。リュート君は風邪でおばあちゃんちでお留守番。後期からはクラスに来ていないユイト君とは9月以来。ハヤト君とは先月の動物園以来。ユート君は1月からは個別指導に切り替わるらしい。
久しぶりに会った子どもたち、楽しそうにしている。親たち、あれこれとりとめのない話をする。リュート君が800グラムの未熟児で生まれたと知ってびっくり。みんな、それなりに、いろんな経緯をたどって、療育センターの教室の仲間になったのだということが、なんだか不思議、と思った矢先、驚きの事実が発覚した。

そういえば、お母さんたちの名前を知らないのだ、だれそれ君のママ、としか。それで住所と名前と教えてもらっていて、ハヤト君のママの名前、を見ただけではわからなかったけど、旧姓を耳にして、まさか、と思い、実家の場所を聞いて、もう疑えなくなった。Mちゃんである。3人姉妹の末っ子で、大学生のとき、私は3人姉妹の家庭教師をしていたことがある。Mちゃんは小学校6年生だった。
半年近くも毎週顔をあわせていて、お互い気づかなかったのだ。
でも気づいてしまえば、もうまぎれなく、あの頃の面影もあるMちゃんで、まあ、あの子にまた会うなんて。それもハヤト君のママだなんて。涙が出てきたわ。

家庭教師に行っても、机に向かってくれないし、教科書も開いてくれないし。押入れに隠れるし、目の前で布団をかぶって寝たりするし。本当に勉強嫌いの子だったのだ。3人をみたのは半年か1年くらいで、一番上の高校生のお姉ちゃんだけは、半ば友人つきあいで、卒業まで通ったけれど、Mちゃんたちは途中でほかの家庭教師に変わり、結局その女の子も、音をあげて、やめたのだった。
「勉強する気がなかったもん。家庭教師の人たちかわいそうだったよ、と旦那に話するのよ」と言う。
そのかわいそうな家庭教師のひとりが、私だったよ。

「お姉ちゃんたち、どうしてる?」「聞きたい?」
「聞きたい?」というMちゃんの声の響きに、すこしひるむ。たぶん人生は、姉妹にとってもそんなにたやすくなかったろう。

「あの頃は、こんなによく話す人じゃなかったよねえ」とMちゃんが私のことを言う。
「だって、おびえてたもん。勉強させていないのにバイト料もらって、うしろめたいし。でもバイトは必要だから、やめられないし」
ああ、ほんとうに家庭教師というのは、つくづく後ろめたいバイトだった。

「裸、のぞいたこともあったよねえ。うちで風呂に入ってけって言って入らせて」と言う。
ああ、そういうこともあったねえ。風呂代が浮くなあ、と思ったらひどい目にあったんだ。両親はお店をしていて夜は不在だったから、なんというか無法地帯のようだった。
おばあちゃんとお姉ちゃんが晩御飯の支度をしていて、私も、お姉ちゃんと一緒に晩御飯のスープに浮かべるねぎを刻んだりしてたわ。そんなこと、きっと両親は知らなかったろう。

さて、その、なんとしても勉強したくないMちゃんが、一度だけ、宿題の詩の暗唱をすると、はりきったことがあって、ほかの短い詩を選んでもよかったのに、よりによって一番長い、谷川俊太郎の「生きる」という詩を覚えると言い、そして本当に一晩で覚えたのだ。あのときだけは感動した。
「生きているということ/いま生きているということ/それはのどがかわくということ/木漏れ日がまぶしいということ/ふっと或るメロディを思い出すということ/くしゃみをすること/あなたと手をつなぐこと」

このふたりは、動物園で息子たちを放ったらかしで、ヒヨコが孵るのを見ていたのよ、その間に息子たちは、小川の飛び石を渡っていて、ハヤト君は水に足をつっこんだんだわ、とリュート君のママが話して、笑ったんだけれども、後になって思い出したわ、Mちゃんの家で飼っていた犬が赤ん坊を産むとき、なぜか私は呼び出されて、Mちゃんと頭を寄せ合って、「がんばれがんばれ、もうすこし」と言っていたわ。
ちょうどあのときみたいに、私たちヒヨコが孵るのを眺めていたんだ。
思い出したらまた、涙が出てきた。

「未来まで縁があるよ、きっと」と帰り際にMちゃんが言う。「うちのハヤトは、なんでか、リクちゃんがすきなのよ」とささやいていく。
これはなにかの呪いだろうか。
今度、ケーキ焼いたら、それもって遊びに来て。