手紙

97年だから、もう10年前。ゴミの山の学校について小さな記事を新聞に載せてもらった。100万円必要なのに8万円しかないという、とても切羽つまったときで、あのときに小さな記事と郵便振替番号とを載せてもらったことは、本当にありがたいことだった。30万円も寄付してくださった方がいたり、1000円の寄付にお礼の葉書を出したらさらに10万円が届いたり、ということもあり、数か月のうちに、必要な金額を得て、学校を存続させることができたのは、奇跡のようだった。
あのときに寄付してくれた人たちが、今も支援を続けてくれていたりするのは、本当にすごいことだ。

それからも何度か、(そのころは東京でフリーライターをしていたこともあって……というか、フリーターの仕事のひとつにライターもあった)機会あるごとにパアララン・パンタオのことは書いてきて、こういうことはゲリラ戦のようだと、ずっと感じてきた。私が、世の中にちゃんとした場所をもっていないから、そうなってしまうのかもしれなかったんだけれど、学校を知ってもらうこと、支援のお願いをすること、13年ほど続いてきたことも、思えばひとつひとつ、とてもささやかなことの積み重ねだった。

東京から帰ってきたら、手紙が来ていて、去年から支援してくれている方で、どこで学校のことを知ったのだろうと思っていたのだけれど、なんとなんと、97年に私が書いた小さな記事を、切り抜いて持っていて下さったのらしい。いつか寄付しようと思っていて、それで去年、パアララン・パンタオについて私が新聞の投書欄に送った小さな記事をみて、10年の間に、私は姓が変わっているんだけれど、これは同じ人だと確信して、10年前の記事を引っぱり出して、そこに書いてあった振替番号に送金して下さったのだ、という。

なんだかもう、ぽろぽろ泣けました。

10年間、ひそかに思いつづけてくれた人がいるということ。