東京 (在日篇)

17日昼。河津さんと小平市朝鮮大学校へ行く。入口でピョン先生が迎えてくれる。朝鮮韓国の詩を検索すると、朝鮮新報のピョン先生の文芸欄に行きついたりする。私はひそかにファンでしたが、お会いしていっそうファンになった。あたたかい人。
日曜日なので、みんな寮を出はらっていて、学生たちはいなかったけれど、図書館と博物館、見学する。
それから研究室で懇談。

『路程記』は、河津さんが渡してくれていたのらしい。いきなり短歌の話になる。
「短歌の革新は、正岡子規だと言われていますが、ぼくは石川啄木だと思う。テロリストの歌、朝鮮国に墨を塗る歌、思想を読み込んでいますよ。テロリストの歌は、大逆事件ではなくて、伊藤博文を暗殺した安重根のことだと思う。野樹さんの歌は、石川啄木につながるものと思いますよ」
それはとっても驚きだった。ああ、そういう見方って、もしかしたら内側からは見えてこないかもしれない。ずっと以前に、20年くらい前に、亡くなった菱川善夫先生が、「外からの視線」という文章を書かれていたことを、ふと思い出したりする。
あとで気になって見てみたら、啄木には「誰そ我に/ピストルにても撃てよかし/伊藤のごとく死にてみせなむ」という歌もあるんだなあ。
啄木が、あんなにはやく死ななかったら、どんなふうに思想を成熟させていっただろう。

在日朝鮮人も在日日本人も、同じ「在日」。在日朝鮮人にとって生きにくい社会は、在日日本人にとっても生きにくいはずで、排外主義は、きっとこの国を駄目にするだろう。
在日日本人も在日外国人も、在日の仲間なのだ、という、自然な発想がなぜできないのだろう。
「在日」の未来をどうするかという課題は、民族や思想信条の差異や、立場の違いを超えて共有すべき大事な問題だ。一切の差異を超えて、ただ「人間」と出会っていくことが、本当に大事だと思う。

宿をとった新大久保あたり、歩くと、いろんな国の言葉が聞こえて、私はかなり居心地がよかった。ああ、日本語をしゃべらなくても、自分が何ものであっても、受け入れてもらえるような、気がして。片言の日本語で一生懸命働いている若い人たちに、ふと見とれたり。