東京 (短歌篇)

玉川上水の散歩道は気持ちがよかった。天気もよかったし。
それから都内にもどって、飯田橋まで。坂道つらい。

「未来」の新年会。
もともとは、これが口実で、上京したのだ。短歌のことだけで上京するというのは、無理っぽい気もしたので、その前後にあれこれあれこれ詰め込んで、ほらこんなに用事があるから、行ってくる、ということにしたのだった。
すると、新年会、一日じゅうは出られない。椅子に一日すわっているのはつらいなあ、という心身の問題もあって、夜の懇親会だけ。
なんか、正しくないことをしているような気がする。
授業出ないで、給食だけ食べに来た、みたいな。

そういえば、会場の建物の別の部屋で、石原莞爾120年記念の会、みたいなのをやっていたのかな、札が出ていた。にわかに怖くなる。
石原莞爾は中国侵略、満州建国の理論的なよりどころとして、日蓮の教義をひっぱってきて、それを都合よく歪曲して正当化していて、その本のコピーを、学生のころに石原莞爾を研究するという学生に読まされたことがあるけど、こんな歪曲があるのか、とか、こんなひどいものを、当時の読者は真面目に信じたのかと思ったけど、なんかなんか、その本を読んで、彼は悪人だと私は思っているが、死んだ悪人のための会合って、いったいいったい、なんなんだ?
飯田橋って、靖国から、近いのかな。行ったことないけど。

話を「未来」にもどすと、「未来年間賞」のことは、野樹は、書きたいことを書いているとは思うんだけれど、それが短歌かどうかはよくわからないと思うところもあって、賞をもらっていいのかしらと思うけれど、たぶん、いいみたいなので、ありがとうございます。