東京 (ホテルアジア篇)

もしも、東京で最初に暮らし始めた土地が、ここだったら、そのあと、精神を病むようなことは、なくてすんだかもしれない。
と、新大久保あたり歩きながら思った。
こういう道なら、歩いてもつらくない。上手に日本語つかえなくても、世間とのやりとりがうまくできなくても、できないままでも、存在していることをゆるされていいと思えるような空気感がある。そこから顔を出して、息ができるような綻びがある。

正しさ、と思われるものに、なんとか自分をあてはめようとすること、あてはめようとしてあてはまらないこと、だから、自分の存在が、それ自体が、誤りのようにおもわれること、にもかかわらず、存在していることをゆるすためにはせめて、たえまなく、自分自身を憎んだり呪ったり、しつづけていなければならないと思うこと。
かみさま、私はこんなに私を憎んでいるのだから、かならず憎みつづけるから、存在することをゆるしてください。

あてはまらなくていい、あてはまったりはしないのだ、あてはまらなくても正しいのだと、語りかけてくれた路地を、いくつか歩くことができて、たぶんそれで死なずにすんでる。
そんなことを思った。新大久保の路地は、プサンやハプチョンやパヤタスの、私にやさしかったアジアの路地の、匂いや気配につながるようで、いいな。

1900年代から40年代にかけて、帝都東京にあった詩人たちの光景を考える。そこにあったアジア。あるいは辺境。
以下はメモ。

1909・10 伊藤博文暗殺
1910・3  安重根(1879-1910)旅順で死刑
    ・8  日韓併合
    ・11 大逆事件
    
石川啄木(1886-1912)1902上京 
宮沢賢治(1896-1933)1921上京、翌年帰郷
知里幸恵(1903-22)1922上京
 
1923・9 関東大震災

中原中也(1907-37)1925上京

鄭芝溶(1902-不明)1923渡日、29帰郷
金起林(1908-不明)1925渡日
李箱(1910-37)1936渡日 37逮捕釈放後死亡  

1936・2 2・26事件(帝都不詳事件)
1937-45 日中戦争支那事変)

金史良(1914-50?)1931渡日 45中国、朝鮮へ
尹東柱(1917-45)1942渡日 獄死

1945・8 日本の敗戦 朝鮮の光復

居心地がよかった。ホテルアジア。猫が廊下を歩いていた。