海にいるのは

 「北の海」 中原中也

海にいるのは あれは人魚ではないのです
海にいるのは あれは波ばかり

曇った北海の空の下 
波はところどころ歯をむいて
空を呪っているのです
いつはてるともしれない呪い

海にいるのは あれは人魚ではないのです
海にいるのは あれは波ばかり


たぶん、一番最初に覚えた中也の詩がこれだった。海なんて瀬戸内海しか知らなかった頃。小学校の終わりの年に兄がくれた「日本の詩歌」全集で読んだ。

東京にいたころ、何度か青森と函館を、夜のフェリーで渡った。あのとき会いにいった人たち、北の町にいた人たちの消息を、もう知らない。私は誰かの幸福に、あるいは不幸に、関わりがあっただろうか。

それから、たぶんもう10年ほども前、山陰の冬の海は、風がびゅんびゅん吹いていて、砂が顔にあたって痛かった。痛いのを我慢して歩いていたら、ふと痛さを感じなくなり、風までおだやかになったようで、あれは不思議な感じだったけれど、ときおりはあるのだ、世界と自分とがふっと和解できるような瞬間が。たぶん、私が私自身と。

冬の海で、手放した「呪い」のこと。

中原中也 天体の音楽』(樋口覚青土社
をぱらぱら読んでいる。中也の詩は「歌」であり「歌」への奉仕である。という内容。「ルバイヤート」や山中智恵子の短歌についての小論も収められている。

星空のはてより木の葉降りしきり夢にも人の立ちつくすかな(山中智恵子)