「新彗星」2号──誰もが惨事

「新彗星」2号。

 ベビー・ブルー、ベビー・ピンクは変だろうだって誰もが惨事なんだから 加藤治郎

裏表紙の一行を含む、加藤さんの歌集『雨の日の回顧展』についての、細見晴一さんの歌集評、

「「誰もが自由」で近代ははじまり、「誰もが惨事」で近代は終わるのかもしれない。」

という文が、心に残った。ずいぶん、おおざっぱなんだけど。とても心に残った。

近代が、アメリカ独立戦争フランス革命あたりからはじまるとして、その根幹をなすのは、民主主義とナショナリズムだったわけだけれど、ヴェイユフランス革命の欠陥として指摘したように、権利の観念のみ主張して、義務の観念を忘れている民主主義は、もういきづまっているし、ナショナリズムは、グローバリズムの波をもちこたえられるだろうか。根幹がゆらいでる。
ローマ帝国がほろんだように、アメリカ帝国もこわれるかな。
ドルの暴落をもって、近代は終わるかな。
そのあとは?

「東京」という近代を考える。
1937年という年に、李箱と中原中也というふたりの詩人が死んでいる。李箱は東京で、東京への絶望的な絶縁状を叩きつけて(でも京城にも帰れず、もっと田舎へはもっと帰れず)東京で死んだ。まるで、そこで死ぬために東京にやってきたみたいに。ずっと東京にいた中也は、鎌倉の療養先で、でもそのあと、帰るつもりだった山口へは帰れないままで、死んだ。彼らが「東京」を出てゆけなかったことが、「近代」なんだなあと、なんだか思う。
中上健次が死んだのが92年だっけ。路地がなくなったあと、オバたちが東京を目指した小説で、東京にたどりついたオバたちが、皇居の前で消えてしまう。オバたちが消えてしまったことが、「近代」なんだなあと思う。路地がなくなったあと、どんどん遠心的になってなんだか収拾つかなくなっていったような印象があるんだけれど、あの作家があの時点で人生を終わったことが「近代」なんだなあ、と思う。

死ななかった李箱が、山口に帰った中原中也が、生きのびた中上健次が、そのあと、何を書いたかを、私はものすごく知りたい。そのあとを。近代の限界、淵、を超えてゆける思想につながってゆくだろうという気がとてもするんだけれども。私の印象にすぎないけど。

「誰もが惨事」。ああ、ほんとに。それはもうその通り。
学校に行けないという惨事。
仕事がないという惨事。
葬儀が出せないという惨事。
惨事をまぬがれていると思ってしまう惨事。
父という、兄という、弟という、夫という、子どもという、私という惨事。

に、どう対峙するか、を考えなければならないわけだ。それはもう、いつだって目の前の具体的な課題として。惨事を輝きに変えられるのでなかったら、生きてる意味なんてそもそもない。惨事を、正しく(地球の軌道のように正しく)生き抜く力をもちたい、とせつに願うこの頃。

で、とりあえず気になるのはレートの変動。1ペソが2円を切った。これまで、送金手数料が惜しいので、ある程度金額がたまってから、まとめて年に数回、ドルで送っていたが、ドルの落ち込みがつづくようなら、目減りをふせぐには、毎月とか二か月に一回とか、送る回数を増やすほうがいいかなあ。
あるだけしか送れない、ということに変わりはないのだが。

パアララン・パンタオのブログ「移転問題」UP
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