無疵な魂なぞ何処にあらう?

義父母の家から、湯田温泉中原中也記念館は近い。
いつでも行ける、と思っていると、かえって行かないものだが(また、小さい子が一緒だと、なかなか行きづらく諦めてしまうのだが)、そうだ、生誕100年だと気づいて、数年ぶりに訪れた。24日の午後。

入館料は安いし、客は少ないし、子どもはパパとおばあちゃんと電車を見に行って私はひとりだし、2時間半、のんびりした。

テーマ展示は「中原中也フランス文学
以前に本で読んだことはあったんだけれど、中也のランボーの詩の翻訳に見入ってしまった。

  無疵な魂なぞ何処にあらう?

このフレーズを最初に見たのは学生のころ。誰の訳だったかわからないけど。「ぼくは二十歳だった。 それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと、 だれにも言わせない。」 というポール・ニザンの言葉と一緒に覚えていた。

もとにもどらないなら、傷を扉のように生きてみようと、思ったのだった。二十歳のころ。

中也の詩には、いろんな人が曲をつけていて、歌曲風、ニューミュージック風、いろいろあるけれど、CDの視聴ができる。
諸井三郎作曲の「朝の歌」と大岡昇平作曲の「夕照」を聴いておこうと思ったんだけど、そのほかのものもあれこれと聴いた。ほんとうにいろいろあるんだ。福島泰樹の短歌絶叫とか、友川かずきおおたか静流小室等、あたりは、なるほどなんだけど、五木ひろしが「湖上」を歌ったり、石原裕次郎が「骨」を歌っているのには驚いた。

中也の詩には音楽がある。その音楽が、人によってこんなふうに違った曲になるというのが、おもしろいなあ。
小室等が「曇天」を歌っているのが、ああこれはこんな詩だったのかと、発見だった。

    「曇天」  

  ある朝 僕は 空の 中に、
 黒い 旗が はためくを 見た。
  はたはた それは はためいて ゐたが、
 音は きこえぬ 高きが ゆゑに。
 
  手繰り 下ろさうと 僕は したが、 
 綱も なければ それも 叶はず、
  旗は はたはた はためく ばかり、
 空の 奥処に 舞ひ入る 如く。

  かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
 屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶ふ。
  かの時は そを 野原の 上に、
 今はた 都会の 甍の 上に。
 
  かの時 この時 時は 隔つれ、
 此処と 彼処と 所は 異れ、
  はたはた はたはた み空に ひとり、
 いまも 渝(かわ)らぬ かの 黒旗よ。