最低賃金

最低賃金、という言葉をはじめて聞いたのはフィリピンだった。
最低賃金以下の生活をしている、ということで。
あるいは、最低賃金は最高賃金のことだよ、といういいかたで。
つまり、最低賃金以下の暮らしが広がっているということなのだが、日本もそんなふうになっていくのかな。

最低賃金として、時給千円、という。
けっこうだと思う。大企業なんかはもちろんそうすべきだと思う。
でも、中小や、個人経営のお店なんかは、時給千円で人を雇うなんて、できない相談だったりするんじゃないだろうか。

数年前まで、バイトしていたお店は、自給700円くれて、しかも交通費の半額出してくれたけれど、働いてみれば、それが精いっぱいの好待遇だったとわかる。子どもができてやめたあと、バイトの募集の張り紙は時給600円になっていたし、してみると、私がもらった余分の100円はキャベツの千切りの技術料かもしれないけど、結局、人が見つからなかったのだろう。あれからバイトを雇わず、老夫婦ががんばっている。ケンショウエンになってキャベツを切るのがつらい、などと言いながら。

最低賃金という言葉が出てきたら、それはもう、個人の才覚とか、運不運の問題を超えて、構造的に貧困がつくり出される社会になってるということの気がする。
格差社会っていうのは、たぶん、社会が植民地構造になっているということだと思う。

企業が儲けて、国民が豊かになる、という構図はもう成立しないと思う。グローバル化っていうのはそういうことだと思う。それで、ワーキングプアなんて、端的にいえば、労働者を搾取して儲けてるってことだわ。富が働いた人に戻らない。植民地ってそうだわ。

本が届いた。『<酔いどれ船>の青春』川村湊。帯に「植民地文学研究の源流」とある。ぼつぼつ読もう。