百鬼夜行

3月。
明日から3月だよ、と昨日話していたら、ちびさんいきなり、顔をゆがめて泣きだした。どうしたの、ときくと、
「3がつのつぎは4(よん)がつがくるの。4がつは、いやなの、おんおんおん」と泣く。
どうしていやなの、ときくまでもないんだが、
「ようちえん、ひとりはいやなの、おんおんおん」と泣く。
まだ3月だよ。4月のことは、4月になってから泣こうよ、ねえ。とか、大丈夫だよ、お友だちいるし楽しいよ、とか、なだめようとしていたら、パパが、

「幼稚園行っていじめられて来い」などと言うのだった。それでまた「うわあああん」。

「どうしてそんないじわるいうのよ」と、ここからは夫婦喧嘩である。
「いじわるなんかであるものか。わしの子ならいじめられる。生意気だとか言われるんだよ。先生だって冷たいもんだ。広島のやつらに自分と違う人間を理解するなんてことができるもんか。×××××(以下放送禁止)」
パパが小さな頃から親や教師や友人たちの無理解やエゴイズムにどれだけ傷ついてきたかは理解できないでもない。
「だからって、今からおどさないでよ」
「おまえこそ、大丈夫だなんて、いいかげんなこというな。脅しなもんか。覚悟してのぞめ、と言ってるだけだ。性善説なんか役に立たん」

さて、そのあとは、幼稚園をドロップアウトしたら、どうするか(もちろん、もう行かせない、とパパ。三つ子の恨み百まで、である。)入園料を返してもらう交渉をするか、とか、小学校のいざというときの転校先も考えておかなきゃとか、そんな話になる。

ちびさん、4月のことより、とりあえず目の前の夫婦喧嘩のほうがこわかったらしく泣きやんだが、寝るころ、また思い出したらしい。「ママ、4がついやなの、ぐすぐすぐす」と泣いていた。
「ときどきは一緒に行ってあげるよ。毎日はいやだけど。そんなら、いい?」というと、「うん」と言ったあと、

「そっか、たぶん、あなたも、ひがいしゃ」
と言って、寝た。ちびさん、それはなんのセリフですか。

「日本語であそぼ」の四字熟語のかるた、去年から欲しがっていたのをやっとこないだ見つけた。最初に覚えたうちのひとつが「百鬼夜行」。
「おにはそと、ふくはうちすると、おにはにげるんだよ」とちびさん。
「それで鬼はどこへ行くの?」
「そと」
ということは、外に出ると鬼がいっぱいいるんであって、それを百鬼夜行というんだが、そのことは言わずにおく。

「4がつになったらいやなの」といまも背中に来て言っている。
「じゃあ、4がつになってから泣きなさい」と言うと、
「いや、4がつになったらなかないの」だって。
「じゃあ、いまのうちに泣いておきなさい」。

大丈夫だよ。私の息子なら、きみは幸せにしかなりません。
とくに根拠はありませんが。