運動音痴

「だいすきな だいすきな おいしい ままー の めめ たべよ♪」(ミレド ミレド ドドレレ ミレド)と歌いながらやってきたので、お互いの目や鼻やへそを狙って、おいかけっこととっくみあいをすこしだけする。寒いので外に出ない日がつづいている。子どもも運動不足だろうなあ、と思う。疲れていないので、いつまでも寝ない。ので朝起きれない。悪循環だなあ。
 
アスペルガーについてみていると、感覚統合、という言葉がよく出てくる。つまり、発達障害のために、全身の協調性が欠けて、極度の運動音痴であったり、非常に不器用になることがある、ということらしい。これよ、これ、と思う。私は極度の運動音痴だった。
縄跳びができない。跳び箱がとべない。鉄棒ができない。走るのが極端に遅い。ボールを投げたり受け取ったりが難しい。泳げない。運動全般だめ。なので体育の授業はたいへんつらかった。ひとりの競技なら、自分がびりになってればすむことだけど、団体競技は他の人に迷惑かけるので、気持ち的にも、しんどかったのだ。
 
ちびさんも不器用そうである。音楽にあわせて体を動かすような場面で、壁にはりついたり床に寝ころんだり、走りまわったりするのは、うまく体を動かせないから、身の落ち着けどころがなくて、そうしてしまうのだと思う。傍目からはふざけているとしか見えなかったりするのが、たぶんこれから誤解されたりするところかもしれない。
筆圧が弱いのも気になる。パソコンのマウスで絵をかいたり、絵の具やお絵書きボード、マジックだといいのだが、鉛筆では書けない。筆圧が足りなくて。
歩き方も、だいぶん落ち着いてきたけど、それでもまだあぶなっかしくゆらゆらする。このゆらゆらする子が、おてつだいするの、と台所にやってきて、同じようにゆらゆらする椅子をもってきて、まないたやガスコンロの前に立とうとするのである。こわくて駄目です。
 
そういえば小学一年の夕方、縄跳びができない私のために、練習をさせようと、親たちがすっかり日が暮れるまで、縄をゆらしてくれたことがあった。あの夕方は、とってもしんどかった記憶があるのだが、たぶん親たちはもっとしんどかったかもしれない。
あの特訓のおかげで、縄跳びなんとか飛べるようになったのだった。二重とびなんかできませんが。
 
思えば、なんでもないことが、嘘のように難しかった。
それで大人になって、児童館でバイトしていたときにやってみたら、バトミントンも卓球もそれなりにできたのが嘘のようだった。
球のくるところにラケットをもっていける、という感覚が奇跡のように思えたわ。面白いので、小学生たちに相手してもらったが、自分が小学生のころは(高校生になっても)どうしてもそれができなかったのだ。
一周遅れのランナーとかいうけれど、20年遅れでできるようになったことでした。20年遅れでもいいわ。できるとわかったから。
50メートルを10秒以下で走れたことはなかったし、人生なにごとも遅くなるのは、しょうがないな。