登山道

ふきのとうはてんぷらにして、クレソンはおひたしにした。少しずつ春。
山を降りれば梅も菜の花も咲いているけれど、うちのは、早咲きの八重もまだつぼみ。それでもやっぱり、少しずつ春。

向いの森の山、むかしむかしは、城山だったらしい。松平の城があったんだって。上まで登ると見晴らしが凄くいいらしい。登山道も荒れ果てているけれど一応あるらしい。以前、桜や桃が花盛りのころに、道を見つけてのぼってみたかったんだけど、ちび連れていけないし、まむしもクマも蛇も出るから行くなとパパも反対するので、あきらめたんだけど、その道が登山道らしい。
で、途中で大木が倒れていたり、湿地帯があったり、とにかく荒れているのを、整備したい、と町内会長はじめ地域のお爺さんたちが言いだしている。というのは、役所から地域整備費のようなもの5万円がもらえるので、それで登山道に立て札を立てれるから。道の整備は、お爺さんたちがボランティアでするつもりだったらしいが、危険なのでやめてくれ、ととめている。
で、まだ登れない。登ろうと思えば登れるはずなのに、私は家族の了解が得られなくて登れない。微妙にストレス。

あぶないからひとりで山に行ってはいけない、と子どものころ母に言われたし、きっと私も子どもに言うに違いないのだが、自分は親のいうことはきかなかった。山のなかをほっつき歩いているのが好きだった。春は週末ごとに蕨摘みしていた。そういえば、昔住んでいた家の裏山も、古城山だった。学校から帰ればすぐに裏山にのぼり、山のなかには自分だけの基地があって、目印の木には名前をつけていた。三本の松のあったところ。根もとにすこしのくぼみがあって、そこに草を敷いて寝転んでいた。捨ててあったソファーと段ボールで小屋を作ったこともあった。それからもう、あっちの山こっちの山、道のあるところもないところも、ただもうほっつき歩いていた。たいていひとりで、ひとりが気持ちよかった。

東京に行ったとき、山が見えないのが、ほんとにつらかった。山どころか土もない。小学校の校庭に土がないのを見たときには、泣きそうになった。こんなところでどうやって生きればいいんだろう。山がなくて、どこに隠れたらいいんだろう。山がなくて、どうやって、安心すればいいんだろう。山がなくて、子ども産んだり育てたり、できないと思う。そのあたりの不安は、かなり根源的な不安だったんだけれど、あのころは言葉にもできないことだった。

春だ。登山道はやくなんとかなってくれ。