○ とか▲とか

昨日は療育センター。担当の保育士さんとの最後の面談。
生活のリズムをどうつくっていくか、幼稚園に伝えておいたほうがいいこと、視覚支援の必要性、などについて。

リズム、とか、お遊戯のようなものに、ちびさん、参加できない。音楽にあわせて、うさぎになれ、馬になれ、といわれても無理なのだ。で、逃げ出すんだけど。
「目に見えるものが何かあれば、フラフープやロープをつかった遊びなら、りくちゃんも参加できた。そういうことは、幼稚園にも伝えたほうがいい。」と言われて、ああそうだった、と思い出した。
この人たちは、私の息子が、どうすれば遊びに参加できるかを考えて、遊びの内容を変えてくれたのだ。リズムになると逃げ出していた子が、床にフラフープの輪がひとつ置かれただけで、参加できるようになった。あのフラフープの輪っかは、うさぎの穴、世界への入口のようだった。  ○

面談の間、ちびさんは同じ部屋で、もうひとりの先生と絵をかいたり折り紙貼ったりして遊んでいた。画用紙を何枚もつなげた絵巻物をつくっていた。京都で乗ったトロッコ列車の絵。

どうもありがとうございました、となんでもなく部屋を出て、建物を出たあとになって、もう、ひまわり教室はないのだ、といきなり胸に迫ってきた。それから、ほんとうにありがとうございました、と思った。
ひまわり教室がなかったら、(専門家というふうでもなく、若くてたよりない保育士さん、としか見えないんだけれど)この保育士さんたちがいなかったら、私も息子も、世界への入口のような、フラフープの輪っかを見つけることはできなかった。

フラフープの輪っかのような入口を、一緒に探して見つけてやらなければいけないのだろうな、と思う。そして、彼自身が、それを自分で見つけられる人になるように。

午後、掃除をしていたら、部屋の隅によつんばいになったちびさん、▲の気配。トイレにさそったら、「でないの、いかないの」といつものようにぐずったが、おんぶしてあげるから、と連れていく。すわらせると、「でないの、でないの」とまた泣くが、出る、という確信があったので、▲はしなくていいから、おしっこしてごらん、と言ったら、おしっこと一緒に▲も出た。
▲のときは、▲のあとにおしっこするという観察結果から導いた作戦だったけど、ばんざーいばんざーいばんざーい、トイレで▲ができたよーーん。やっと、できたよーーーーん。

「できたの」とちびさんも照れながらうれしそうにしていた。お願い、これからもずっと、▲はトイレに行こうよう。