挙動不審

1985年3月。中国の旅でのこと。 
上海で、レストランの前で、ひとりの少年が、何か文字を書いた大きな紙の上にすわっていた。どう見ても物乞いをしているのだが、学生にきかれた通訳さんは、こう言ったのだ。「中国に乞食はいません」。
ではこの目の前の少年は何をしているのだろう。「わかりません。でも中国に乞食はいないんです」

そのレストランでのお昼ごはん。テーブルにはジュースのほかにビールもあったので、ビールをあけてごくごく飲んでいたら、叱られた。昼間からビールを飲むな、出されたからって、飲むもんじゃない、と先生が言ってる、ということだった。

上海から南京へ向かう列車のなかで、小林先生の怒りは炸裂した。通訳さんのひとりで責任者の人が小林先生に身の上話をしていたらしい。祖父母が日本軍に殺されたという話。だから、大学で日本語を学ぶことになったときには葛藤した、と。
そのときに私たちの笑い声、かん高い嬌声が車内に響いたのだ。「おまえたちはいったい何だ。昼間からビールは飲むし、列車の中では騒がしい。おれは、おまえたちみたいな学生を連れてきたことが恥ずかしい!」と、そりゃもうすごい剣幕だった。

あの旅以来、小林先生に会っていないのだが、数年前また広島で暮らすようになり、被爆語り部の方とお話したときに、小林先生の話が出てきて、そんないきさつで、先生にお手紙を差し上げることとなり、すると「あなたのことは、よく覚えていますよ」というお返事が来て、たちまち思い出したのが、あの南京への列車のなかでのことだった。あれは「私たちの嬌声」ではない、「私の嬌声」だったんです。
それから数度、お手紙のやりとりをして、先生は癌で闘病中だったが、回復したらお会いしましょう、といってもらって、でも逝去されて再会できないままになってしまった。

話は変わる。
昨日、音楽教室。最近ちびさんの態度の悪さが目に余るので、来週の発表会に出るというのに、歌ったりカスタネット叩いたり、どころか、ただ立っている、ということもできずにいるので、パパに入口からのぞいてやって、と頼んでいたら、そうしてくれたわけです。こわい顔して腕組みまでして。
すると、ちびさん、立ってる! たぶん、寝ころんだりくるくるまわったりしそうになるのを一生懸命こらえて立っている! のが、なんかもう、おかしい。相変わらず歌わないが、パパが見ているのに気づくと、みんなが腕をふるところで、指先だけちょっと振ってみたりして、その仕草の奇妙さ加減がなんともいえない、先生もお母さんたちもこらえきれずに笑っていました。

みんなと一緒に並んで立ってる、ぐらいはできるかな。できるとわかったから、できるよね。それ以上のことはいいよ。それにしても、昨日は挙動不審な親子だったよ。昨日、だけでもないか。まあいいや。