やさしい包囲網

それから土曜日は、みんなで下関へ。下関で別れて、私は福岡へ、ちびさんたち御一行は、水族館へ行く予定だったけど、博多まで送っていってやる、と義父がいきなり言い出して、なんか時間かかってしまった。昼ごはんも一緒で、ちびさん、「ぼくもママといっしょにいく」とか言い出すし。だいたい歌人だなんてことは内緒なので、適当なこと言って出てきてんだけど、義母は「まあ、そんな格好で」と、いぶかしがるし。いつだって、そんな格好ですが。

やさしい包囲網をなんとか脱出して、会場へ。
笹井宏之歌集「ひとさらい」の批評会。
いい会でした。内容は、どこかで、誰かが、まとめてくれているはず、と思うので、省略。私は、いろんな人に会えてうれしかったです。
受付でお金数えるのも楽しかったし。本にサインももらったし。
ありがとうございました。

松山から来ていた女の子が、私の学生時代の先輩、6年前に急逝した先輩の、教え子、ゼミの学生だったとわかって、びっくりした。耳に、先輩の声が戻ってくるみたいで。

夜中、山口に戻って、日曜は早朝に山口発。昼前に広島に戻って

(車のなかで、ちびさん歌うたってた。「へそのまがったおれさまは♪ちいさなころからひねくれて♪おとなになってもひねくれて♪」というのを、ゆうに50回超えるくらいは、リフレインしていた。ケロロの絵描き歌のなかのクルルの歌ですが、よりによってなぜその部分だけ。)

広島に戻って、午後からボランティア・グループの会合。年配の人ばかりなんだけど、少ない人数だし、何年もたつうちには気心もしれてきて、私も喋りやすくなってきた。もう10年も、ゴミの山の学校に支援してもらっています。それで数年前からは、ルソン島北部で植林をしている人たちとも一緒で、彼らもパアララン・パンタオとの交流をしてくれている。1年間の報告をして、寄付のお礼と領収書と、あれこれ懸念のことの話しあい。
パアララン・パンタオのTシャツ、持っていったら、たくさん買ってもらった。

会合のあと、某高校の放送部やってきて(私が呼んだんだけれど)、パアララン・パンタオについて取材のつづきをする。パアララン・パンタオを訪問してくれた人たち、みんな時間をとって取材に応じてくれて、ありがたかった。締切が6月といっていたはずだったのに、それは別の番組をつくることにして、パアララン・パンタオのほうは、半年とか1年とか、時間をかけて取り組むことにしたんだって。植林についても、熱心に取材していたから、きっと、植林についても番組ができるでしょう。

ボランティアの語源は、自発的な、という意味らしいけれど、世代や立場を超えて、それぞれの自発性が結びついて、何かかたちをなしていく、価値がうまれていく、のを見るのは、ものすごく面白い。
人みしりだし、人に会うのとても苦手なんだけど、この面白さはかけがえない、と思う。

なぜ支援を続けたか。あらためてきかれて、考えた。つきつめれば、レティ先生がいるから。敬愛できる人に出会えた幸福を、私は手放したくなかったからだと、思ったわ。

ちびさん、取材の邪魔になるからと廊下に出されて、面倒みてくれていたパパもかわいそうだったけれど、ちびさん、いつのまにか寝ていた。家に帰ったら、玄関で寝てしまうし。それで夕方爆睡したせいで、夜中まで寝ない。今朝は「ねむいの」と言いながら、なんとか幼稚園に行きました。

関門海峡。風がつよかった。はじめて車で九州入り。