「中上健次の遺産」

「文芸思潮」23号に対談「中上健次の遺産」(井口時男/高澤秀次)が収録されていて、興味深かった。
中上健次の小説は大好きだった。二十代のはじめ頃、読みふけった日本の小説は、中上健次と津島祐子。中上健次の路地の物語と、津島祐子の短編が、ほんとに光を放っていた頃。

路地の物語、私は何度も泣きじゃくって読んだものだ。オリュウノオバとか、名前みただけで、今でもなつかしくて泣ける。
中上健次の路地の物語は、現実の路地の、私がごく身近に親しんできた世界の、愛憎ぐちゃぐちゃの、やりきれない部分、おぞましさの部分も、まるごと掬い受けてくれるような、やさしさがあった。

それから、路地が焼き払われて、秋幸たちはどこへ行ったのだろう。路地の物語は、一読者にすぎない私にとっても、何かしらよりどころであったのに、あたらしいよりどころを与えてくれないまま、作家は逝ってしまった。

「異族」はなんだかとほうもない小説だった。長くてとりとめがなくて、アジア、そう、アジアが出てきていたんだけれど、路地を焼き払ったあとは、とほうもない不毛との勝ち目のない闘いのように見えた。

あれから、中上健次が死んでから、私は、日本の小説をほんとうに読まなくなった。焼き払われた路地のあとの、よりどころを、誰か書いているだろうか。

ゴミの山のスラムで、私は、中上健次の路地の小説の、とてもやさしい部分に、触れたように思った。ただもうむやみに歩きまわった。ゴミのなかの路地。