感覚の問題

ちびさんの耳は難しい。
たとえば音楽教室、もう一年間通っているんだけれど、ただの一度もみんなと一緒に歌えたことがない。
歌詞なんか覚えているし、キラキラ星やメリーさんの音階だって覚えてるけど、先生のピアノにあわせて歌う、なんてことはできない。
どうやら、聴くということと、歌う、ということが一度にできないらしい。家でも、歌っていても、音楽がかかると黙ってしまう。
で、みんなが歌うとき、黙って立っていることもできなくて、寝ころんだりくるくるまわったりする。ふざけている、と見える。
でも、聴くことと鍵盤を叩くことは一緒にできるみたいで、音符も教えもしないのに自分で本を見て、読めるようになっている。
音楽教室は好き、つづける、というので、昨日は↑のようなことを、先生と保護者さんたちに説明して理解を求めたことだった。

私もたぶんちびさんと同じで、カラオケでも、文字の色が変わる部分を歌えばいいのだと思って歌うけれど、歌うとき、音は聴いてない。だから、文字が消えたら歌えなくなります。音を聴いたら歌えないのだ。

自閉症とかアスペルガーとかについて調べていると、感覚統合という言葉がでてくる。感覚統合の療法が必要、というふうに。つまり、感覚の情報処理に問題あり、ということなんだけど。

きっと運動音痴もそのせいで、私は体育の通知表は、1と2しかもらったことない。たとえば、ボールがくるのを見る、ということと、その方向に体を動かす、ということが一緒にできない。

小学校のドッジボールとかプールとか、恐怖以外のなにものでもなかったし、思い出すといまでも震えがくる。(ついでに、バカとかうすのろとか、同級生のののしりの声なんかも耳にもどってくるし。今でも、ドッジボールなんて、人にボールをぶつける、あんな乱暴な遊びをどうしてしなきゃいけないのか、理解できないけど)

運動会の日に熱が出たことがあって、ああこれで正々堂々と学校を休める、運動会に出なくていいと思って、本当にうれしくほっとした気持ちになったことを、今でも思い出す。

体育の授業もつらいが、着替えがまたつらいのだ。小さいころもつらかったが、高校生のころは、更衣室は絶望感のこみあげてくる場所だった。

ちびさんが、感覚過敏のせいだろうが、幼稚園での着替えがきらい。靴下を脱ぐのがこわいし。だから、みんなが裸足で泥だらけになって遊ぶようなときも、教室でひとりで遊んでるみたいだ。

同じアスペルガー仲間なんだろうし、私と似てるだろうなと思ったら、そりゃもう、これからどんなに大変だろうと、ため息出る。まわりに理解してもらえるようなことではないし。(でも理解を、求め続けていかなければ。)

耳、といえば、耳掃除が悲鳴をあげて逃げ回るほど嫌い。耳鼻科検診とかもあるらしいけど、憂鬱の種はつきることがないけど、がんばろっか、ちびさん。

昨夜は、先生やお友だちの似顔絵をせっせとかいていた。似てる。