トンネルをぬけると

「トンネルをぬけるとしものせきがみえるはず」
と書いている。先月下関に行ったからね。街の絵。
畳の上に敷いたゴザの上にも線路。
油性マジックでキュッキュッキュッ。
ついでに、自分の腹にも何か書いていて、なんて書いたの、と風呂できいたら、「ハラスメントってかいたの」
ハラスメント……!!
なぜに、ハラスメント。
覚えなくていい言葉ばっか、覚えるし、気になるらしいし。
洗っても消えないし!

プールは着替えもできて、水遊びもできて、楽しかったらしい。
夕方、あや先生が電話をくれて詳細教えてくれた。
靴下を脱ぐのにやや抵抗を示したが、新しい靴下があることを考えたら大丈夫と思えたらしい。水遊びはきらいじゃないはず。
全体集会でみんなが歌ったり踊ったりするときには逃げ出したが、自由遊びのときに、みんなが外で鉄棒をしているのを見て、自分もしたくなったらしく、先生にたすけてもらって前回り一回転したらしい。

きっと、親が思っているよりずっと、きみは立派ながんばりやさんだよ。

すわったらプーーーと音が出る子ども用の小さな椅子がある。
ふと見ると、その椅子にも、大きくマジックで「あや」と書いてある。
うーん、あや先生には黙っておこう。

昔、自分のバイクに「マリリン・モンロー」という名前をつけていた男の子がいたことを、思い出した。いつだろう、学生のころの知り合いだ、真夜中に誘いだされて、出稼ぎに来ていたフィリピーナたちと一緒に遊んだことがある。彼女らがいやなおじさんにからまれているのを、彼が助けてあげたらしく、とても好かれていた。真夜中の川べりで、フィリピーナたちが「おかあさん」と読んでいた街娼のおばさんは、猫に餌やりながら客を待っていた。夏の真夜中だった、店の終わったフィリピーナたちと「おかあさん」と彼と私と缶コーヒー飲みながら、春になったらここでお花見しようねと話したりしたけど、春になる前に、女の子たちは別の町に行ったし、「おかあさん」にももう会うことはなかった。モンローに乗っていた男の子は、会う度に恋人の名前が違っていた。保身のない、底なしのやさしさがあったから、女の子にはこと欠かなかったろう。言葉をかえれば、破滅的で無責任だったが、憎まれたりはしなかったろうな。
最後に会ったときは、東京で暮らしていたが、いまごろ、どこでどうしているんだろう。