エレクトラ

昔、3か月の失業保険で8か月暮らしたときに、
朝のバスに乗るくらいなら餓死したほうがいいやと思うほど疲れていて、次の仕事なんか探す気にもならない、おかげで、時間だけはあるので、煙草とパンの耳とコーヒーでしのぎながら、ヴェイユ全集を読みふけった。ページをめくる至福。思えばあれは、ほんとうに幸福な時間だった。
ヴェイユが、工場の雑誌に、ギリシャ悲劇の「エレクトラ」と「アンティゴネ」を載せたのがあって、物語る、というのはこうあるべきだと、戦慄した。ギリシャ悲劇を彼女は、女工さんたちに向けて語っているのだが、その解釈の深さと文章の平明さ。わかりやすくて美しくて、妥協がない。
ヴェイユの「エレクトラ」や「アンティゴネ」のような文章を、書ける人になりたいと、ひそかに思ってはきたのだった。

中上健次の若いころの未発表の(そして火事で失われた)小説のタイトルが「エレクトラ」だったらしい。
エレクトラ 中上健次の生涯」(高山文彦著、文藝春秋)を読んだ。中上健次の評伝。ごはんつくるのもさぼって、一気に読んだ。途中なんども目の奥がつんとして、最後はもう、泣きっぱなし。
路地の、被差別部落の私生児という出自のこと、東京に出てきてから、芥川賞を受賞するまでの日々、一言で言えることでもないが、一言で言えば、この作家の凄さは、憎しみや殺意を大きな愛へ変容させたこと、束縛を愉楽に変容させたこと。

中学を出てからは会うこともない、もう消息も知らない、部落出身の同級生たちのことを思い出した。

いま私の父が、部落に住んでいる。もうずいぶん長い。部落の友人の母親が死んで、その家があいたので引っ越したのだが(その家が、13歳で土方仕事をはじめた父が、最初に働いた現場かもしれないというのだから面白い。まあ、もう人が住むのも限界、といいたいくらいのぼろ屋だ)、部落に住むのは、開かれた心から、というよりは家賃が安いという理由、家族もいないひとり暮らしのなげやりさから、というほうが正しいが、あの部落でなければ、父は生きていられなかったろう。

父がそこで暮らすようになって、私も帰省すればそこに戻った。駅からタクシーに乗って地名を言うとき、私も部落の娘だと思われるだろうか、と思った。もしそう思われるとしたら、私はこの運転手をだましてることになるんだろうか、となんだか奇妙な気持ちがした。
昔の男の親戚が、同じ町に住んでいて、私の父の住所を聞いて、部落の人じゃないかと言っていたらしいと聞いたとき、「そうだって答えればいいよ、ついでに弟はヤクザで刺青があるって言ってやれ」、と私は男に言ったけど、男はそんなことは言わなかったろうな。

あの部落にも、部落の人たちにも、私は恩がある。母が死んだあと、崩壊した家族の、いくつか不祥事もかかえた者たちを、ありのままに受け入れてくれた。父が盲腸をこじらせて入院したとき、着替えや洗濯の面倒を見てくれたのも、祖母が死んだとき、女手もなくどうしていいかわからない父をたすけて、死装束を用意してくれたのも部落の人たちだった。

部落出身の土建屋の末息子は東京の大学を中退したらしいけれど、私のまわりで、大学に行ったことがある人といえば、その人しかいなくて、ひとまわり年上の兄のようなその人が、おまえは大学に行けと言ってくれたことが、私はどれほど心強かったか。家族も親戚も、女が大学に行ってもろくなことにならん、金もないのに、家がこんなに大変なのに、自分のことしか考えんようなろくでもない娘になって、とみんな反対していたなかで。

どれだけ感謝してるか、なんてことは、帰省して遊びに行ったって、言わないんだけどさ。

アルバート・アイラー。私が最初に聴いたジャズがこの曲だった。鳥肌たつほどなつかしい。そういえば「破壊せよ、とアイラーは言った」という本もあった。中上健次の本、新刊が出る度に、どきどきしながら読んでいた。読むことができて、幸福だった。