「二十五時」

殺人事件の時効よりも、長い歳月が過ぎてしまったことだし、自白しようか。
高校の図書館の本を二冊盗みました。

ゲオルギウの「二十五時」名作ですね。昭和25年の本。
ショルマーの「25年」ソ連の収容所の記録。昭和31年の本。

盗むつもりはなかったのです。卒業までもうすこしだけ借りておこうと思った。誰も見向きもしないぼろぼろの本だし、でも私は2冊とも(とりわけゲオルギウの「二十五時」はもうぞっこん)大好きだし、本屋で見つけたら買って、それから返そうと思ったけど、探しても探して本屋で見つからない。(絶版だったんだね)。
そうこうするうちに、私は図書委員だったんだけど、休みの日に図書委員が呼び出されて、本の入れ替え作業、というのをやった。昭和二三十年代までの古い本を、ごっそり取り除く、という。
とすると、私が返さずにもっている2冊の本も、もし返していたら、取り除かれてしまっていた。倉庫代わりの教室にとりあえずしまいこまれた本たちが、それからどうなったか、知らないが。

ということはこの本たち、返却したって、処分されるわけだ。

私は返すのをやめた。

で、大事にもっているんだけれども、高校のときはよく読んだもんだと思う。茶色いザラ紙にかすれた旧字体の活字。いまはもう読み返すのがつらいくらいのぼろぼろ加減。ページも一枚破れて、なくなってるし。

で、ネットの古本屋で見つけて注文したのが届きました。「二十五時」。昭和42年の角川文庫版。すごいうれしい。第一次大戦から第二次大戦後までの東欧の悲劇を描いた小説。

「私は気違いじみているかもしれない。かりそめにも名誉を重んずる精神は心に染まぬ生き方を好まず、かりそめにも叡智を持つ精神は全く生に執着しない。私は別に生命を惜しまない。私はいつでも生命を棄てることができる。…(略)…」ゲオルギウ「二十五時」
  高校2年のときのノートから。

ゲオルギウはルーマニアの作家。
「明日世界が滅ぶとしても、私は今日、リンゴの苗を植える」
という言葉がよく知られていると思います。