自由ノート

ノートがない。
パアララン・パンタオ関連の、雑記帳。
たぶん去年からの、あれこれが書きつけてある。
ニュースレターの下書きとか、経費の計算とか、いくつかの住所とか、そんなものだから、経費のことは、出納簿に写しているはずだし、住所は住所録に写しているはずだし、なくても困らないはず。
とは思いながら、ないとなると、そこには大事な何かがあったかもしれないという気がして、探した、探しまわった。

どこにもなくて、だいたい、本やノートや紙くずの類が部屋を埋めていて、本をジャンルごとに並べていたのも昔の話だし、なんだかもうぐちゃぐちゃで、探すほどにちらかるし、ああ、子どもに「片付けなさい」を言う前に、本当は自分が片付けなければならないのだ、とか思っていて、あ、もしかしたら、と思った。

ちびさんの机のまわりを探したら、あった。出てきた。
「自由ノート」。子どもの学習帳で、無地のやつ。

開いてみると、白いページに、ちびさん、トラックの行列を落書き。すでに自分のノートにしている。取り戻そうとすると怒る。
それで、名前を書かせた。
ここに「ぱあららんぱんたお」って書いて。ここには「おかあさん」って書いて。
ちびさん、書いた。
「ほら、これはおかあさんのノートでしょう。返して」

納得したのか?
返してくれたよ。

子どもの落書きノートと、同じノートを使うのはやめよう、と思った。